杉並住民訴訟第2回口頭弁論関連書面 その

準 備 書 面 (4)_ 訴訟指揮への異議申立(第二回口頭弁論期日変更のお願い)

準 備 書 面 (5)  教科書官製談合の司令塔・山田宏杉並区 

準 備 書 面 (6)  _教育委員会には採択権限はない その1
                         教育基本法の原理から教科書採択権を考察する

準 備 書 面 (7)   教育委員会には採択権限はない その2
                         実態的採択権限について

杉並住民訴訟第2回口頭弁論関連書面 その2へ


準 備 書 面 (4)

2007年2月22日

 訴訟指揮への異議申立(第二回口頭弁論期日変更のお願い)

  傍聴人も主権者であること

 2月22日、書記官に問い合わせたところ、第二回口頭弁論の時間は15分しかとっておらず、10:45に2件、11:00にも裁判が入っており、口頭で述べる時間はないのでご協力をお願いしたいとのことであった。

 国民には裁判を受ける権利が憲法で保障されており、主権者は国民である。原告のみならず傍聴者も主権者である。実質的な口頭弁論のない裁判では傍聴者はどんな裁判なのか、さっぱりわからない。だから、裁判はむずかしいということになり、しだいに主権が自分にあるということも忘れ、裁判官が権威を持っているのだと思い込み、刷り込まれ、国民は「傍聴させていただくのだから仕方ないのだ」という意識を植え付けられていくのである。主権の喪失である。

 私たちはそのような裁判の実態に対して、異議を申し立て、主権者である国民(原告・傍聴人)にとってわかりやすい開かれた裁判を要求する。この裁判は弁護士のいない本人訴訟であるので、傍聴人のみならず素人の原告にとっても、「陳述しますネ」「はい」ということで、膨大な準備書面を口頭で全て述べたことになると、うっかりすると、原告でもどのような進行になっているかわからなくなるおそれもある。素人は裁判について理解するのに時間がかかるのである。裁判官には憲法を遵守する義務があるのだから、素人である一般国民の裁判理解能力こそを基準に訴訟指揮をすることを求める。 

 裁判官にも生の声を聞いていただきたいこと

 また、裁判官にとっても、単に書面を読むだけなのと、時間を費やして実際に原告らから法廷で主張を聞くのとでは雲泥の差がある。私たちは生身の人間である。人間として相対して、目を見ながら、生の声による主張を聞いてほしいと切望するものである。昨年12月教育基本法が改悪され、次の参議院議員選挙では首相が「改憲」を争点にすると公言するなど、戦争体験とそれへの反省を忘れ去り、日本が再び戦争のできる国になろうとしている今、国家の教育に関わる「つくる会」教科書を扱ったこの裁判の影響力ははかりしれない。子どもたちの命がかかっていると言っても過言ではないのである。だから、裁判官には書面を介してではなく、ぜひ私たちの生の声を聞いていただきたい。

特に第二回口頭弁論では原告らの主張の内容が非常に多く、5項目に渡り、準備書面は6通以上を準備しているところである。しかもその内容は教科書採択という専門分野であり、その上採択規則の恣意的「改正」、公文書変造、官製談合などの経緯も複雑で、一般の傍聴者には理解のむずかしいものである。

そこで第二回口頭弁論には最低1時間の時間を取ることを求める。指定された期日にはそれは到底かなわないため、口頭弁論期日の変更を求めるものである。

 

結語

 1.傍聴人も主権者であるので、わかりやすい裁判を行うため、また、裁判官にも生の声で主張を聞いていただきたいため、最低1時間の口頭弁論の時間を求める。

 2.そのために口頭弁論期日の変更を求める。

 

以上


準 備 書 面 (5) 

2007年2月28日

教科書官製談合の司令塔・山田宏杉並区 

 1.山田宏区長の独断的・恣意的な教育委員・教育長任命

  200011月、山田宏杉並区 長(以下、山田区長という)は突然、任期満了の2人の教育委員と教育委員長を更迭した。任期満了の委員は、再任されるのが慣例であり、当然そうなるであろうと思われていた。にもかかわらず山田区長が彼らを更迭したのは、彼らが山田区長の不当な教育への介入に物申していたことと、特に教科書採択に関して「日常子どもたちと共に過ごしている、現場の教員の意見が尊重されるべきだ」と委員会で述べていたことが大きな原因であったと考えられる。

 教育委員の選任に当たっては、議会の各会派に意向を打診するのが慣例だったが、山田区長は、独断的、恣意的に候補者を決めた。一人目の候補者は佐藤欣子氏(弁護士)である。佐藤氏は山田区長出身の松下政経塾で講師を務めたこともあり(区長証言)、産経新聞にも時々私見を書いていた「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」という)の有力な賛同者の一人である。区民による猛烈な反対運動が展開され、区長は佐藤欣子氏を候補者として議会に提出できなかった。

 次に区長は同じく「つくる会」の支持者である大藏雄之助氏と宮坂公夫氏を候補者として議会に提出し、区民の多くの反対を押し切って、また、区議会与党である公明党が採決の際退席する中、議会の同意を取り付け、両氏を教育委員とした。

 2001年の採択のための教育委員会ではでかろうじて「つくる会」教科書は採択されなかったが、その後、2003月に山田区長は教育長を、元区長室長であり懐刀である納冨善朗氏に入れ替えた。納冨氏は「034月、山田区長に不倫疑惑が浮上したときの区長室長、『疑惑の“火消し役”として区長に評価されたと言われています』(区関係者)」(『週刊朝日』2005/8/12号)という人である。【甲14号証】

  杉並区教育委員会(以下、区教委という)は2005月に「つくる会」主導の扶桑社版歴史教科書を違法に採択した。そして杉並区は全国583の採択地区の中で栃木県大田原市 と共にたったヶ所、「つくる会」教科書を採択した不名誉な場所となった。

 2.山田区長と「つくる会」の関係
 

200521日、杉並区セシオンホールで行われたCS放送「日本文化チャンネル桜」(以下、「チャンネル桜」という)杉並支部発足記念講演会を、杉並区杉並区 教育委員会が後援し、山田区長自らもパネリストとして参加した。他のパネリストには、「つくる会」の有力なメンバーである渡部昇一氏(上智大学名誉教授)、クライン孝子氏(ノンフィクション作家)などが参加しており、「つくる会」が主張している歴史観を述べ、教科書採択にも言及していた。

 「 杉並区 教育委員会後援等名義使用承認事務取扱要綱」第4条2項(3)には「事業活動が非営利であること」とあり、株式会社である「チャンネル桜」の後援を行うことは、上記の要綱に違反している。それにもかかわらず「杉並区杉並区 教育委員会」の後援を強行したことからも、山田区長と「つくる会」が深い関係であることは明らかである。

 ホームページで靖国神社参拝などを呼びかけている「チャンネル桜」の創設提案賛同者は、「つくる会」の代表執筆者である藤岡信勝氏や「つくる会」の賛同者で構成されている。設立発起人には、「つくる会」元副会長であり、「つくる会」主導の扶桑社版教科書の元監修者であった高橋史朗氏(埼玉県教育委員)や杉並区 議会議員の松浦芳子氏が名前を連ねている。【甲15号証】

 松浦芳子区議は「日本会議」の東京都本部理事であり、「日本会議」の機関誌である『日本の息吹』の中で「杉並から日本を変える。歴史の教科書を変えたいから議員になった」と答えている。松浦芳子区議が議員に立候補した際、山田区長は推薦人として熱心に応援していた。さらに山田区長は「チャンネル桜」で月一回、番組を担当している。

 松浦芳子区議は著書で高橋史朗氏を尊敬すると書いているが、その高橋史朗氏は「すぎなみしあわせ文庫・ココロマメ」「まみこのポスト」の編纂委員として杉並区に関わっている。【甲16号証】

 松浦芳子区議は『日本の息吹』(平成179月号)の「杉並から日本を変える―扶桑社版歴史教科書採択への道―」というインタビュー記事の中で、「採択実現の鍵は?」という質問に答えて、「一つは、区長、教育長が不当な圧力に屈せず、正しい意見が言える人であったこと」と延べ、山田区長が教科書採択に関して意見を述べていたことを明らかにしている。【甲17号証】。

3.山田区長のゆがんだ歴史観
 

   山田区長は2004年、2005年の成人式で、新成人を前にして二人の特攻隊員の手記を読みあげ、「あなたたちと同じ年齢の若者が戦争に尊い命をささげた。今の平和で繁栄した日本の礎となった人たちに感謝するように」と訓示した。

   若者たちは戦前の皇民化教育によって国のために命をささげたのであり、戦後、日本は皇民化教育を否定し、二度と繰り返してはいけないと反省して教育基本法を制定した。そのことを忘れ、新成人に特攻隊に感謝するようにと訓示するとは、戦後日本の反省をないがしろにした、戦前の皇民化教育への復帰に等しい行為である。

   200522日、山田区長は「『日本海海戦』上映会」で講演した。「『日本海海戦』上映会」は、松浦芳子区議が代表や役員を務めている「はあもにい教育研究会」「杉並の教育を考える会」の主催である。


 この上映会の講演で山田区長は、日露戦争はロシアの脅威から日本の独立、朝鮮の独立を守るためのやむにやまれぬ戦争だったとし、朝鮮の植民地化を正当化し、日韓併合は日本の安全と満州の権益を防衛するためだったと語った。これは「つくる会」歴史教科書と同じ歴史観である。さらに山田区長はここでもアジア太平洋戦争を戦前使っていた「大東亜戦争」と言い換え、大東亜戦争も自衛戦争だったとくり返した。【甲18号証】

 

4.山田区長の人脈、区教委と都教委の関係

 2003年10月23日、東京都教育委員会(以下、都教委という)は都立学校に向けていわゆる「10.23通達」を出した。その内容は入学式、卒業式等における日の丸の掲揚、君が代の斉唱、式の会場設営等について細部に渡り規定し、教職員を校長の職務命令によって従わせるというものであった。前年までは式の前に、憲法第19条に規定される「思想及び良心の自由」に基づき、「内心の自由」について生徒、保護者に説明を行っていたが、その説明も禁止された。2006年9月21日の東京地裁難波判決(国歌斉唱義務不存在確認等請求事件判決)において、「10.23通達」は教育基本法10条に反し、憲法19条に反しているとして、教職員に国歌斉唱義務はないとされた。

 区教委はこの違法な「10.23通達」を受け、区立学校に向けて区独自に同様の内容の通達を出した。このようなことを行ったのは都内で杉並区 ともうひとつの区だけである。また、2005年8月の杉並における「つくる会」歴史教科書採択にあたっても、区教委は都教委のやり方を踏襲し、採択に至る態勢作りをした。(後に準備書面で詳しく述べる)。

 2006月、山田区長は納冨善朗教育長の辞任に伴い、都教委の指導部長だった井出隆安氏を教育長に選任した。井出氏は都教委において「つくる会」教科書に有利になるように恣意的な「教科書調査研究資料」を作成し各教育委員会に提示するなど、「つくる会」教科書採択の中心にいた人物である。また、指導室長であった松岡氏(都教委出身)を庶務課長に据え、指導室長には同じく都教委から種村氏を引き抜いた。都教委は東京地裁難波判決で教育基本法10条に反し、憲法19条にも違反したと判断されたが、山田区長は都教委と結託し、「つくる会」歴史教科書を都内で唯一採択した杉並区 で教育への政治介入を強化しているのである。

 200425日、NPO法人「じゃんけんぽん」(法人日本児童文化教育研究所)の発足記念講演会が、都教委、区教委の後援を得て行われた。内容は高橋史朗氏による「家庭崩壊の処方箋『親学講座』」であり、山田区長も挨拶している。他に土屋たかゆき都議が挨拶している。土屋たかゆき都議は2006月、「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次氏が袂を分って設置した、第二「つくる会」とも言うべき「日本教育再生機構」に発起人として参加している。土屋都議には石原都知事が「今、国家と言うものを踏まえて政治、社会の現状を捉える人間が少ない中、土屋さんは国家、東京、民族に対する愛着があるからゆえ、危機感をストレートに出し行動している稀有な政治家であり、私は強い友情を感じ、一緒に仕事をしている」ということばを贈っている(土屋都議のHPより)。

 2006年2月12日には安倍晋三首相自らが杉並区立児童青少年センターを視察した。【甲19号証】安倍晋三は1997年2月に結成された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(後に「若手」を名称から削除する。以下、「議員の会」という。)の事務局長を務めていた。「議員の会」と「つくる会」とは彼らの言う「自虐的な歴史観を持つ教科書」を排除し、「新しい歴史教科書」をつくるために結成された双子の兄弟(姉妹)のような関係にある組織である。「議員の会」は「つくる会」主導の扶桑社版教科書採択を推進するために教育に不当に介入した。(準備書面(9)参照)。安倍晋三首相自らが杉並区 に視察に来るほど、山田区長は安倍晋三首相と関係が深いのである。また、2月9日には区立新泉小学校の道徳授業地区公開講座に高橋史朗氏を呼び「学校・家庭・地域における道徳教育」と題する講演会を行った。【甲20号証】

 このように山田区長はこういった超タカ派の議員らと深いつながりを持ち、彼らを杉並区 に呼んで講演等を行い、また、教育基本法10条、憲法19条に違反した都教委とつながり、積極的に都教委のやり方を取り入れ、その上、都教委出身の人物を区教委のトップに据えて、杉並の教育を破壊しようとしているのである。

 

結語

  以上のように山田区長は成人式に特攻隊を賛美し、朝鮮の植民地化を正当化し、「大東亜戦争は自存自衛の戦争だった」とするゆがんだ歴史観を持つ人物である。山田区長は区長という公の立場にありながら、ゆがんだ歴史観を宣伝する「チャンネル桜」に定例番組を持ち、発言を続けている。これは教育への政治の介入を禁じた教育基本法10条に違反する不法行為である。山田区長は『ガバナンス』2005年2月号で「教育行政は区長がやるものだ」とも発言しており、やりたい放題・言いたい放題の観を呈している。【甲21号証】

 訴状で指摘した5項目の違法性のすべては、山田区長のゆがんだ歴史観、独裁者とも言うべき独断的・恣意的な行動を根っことし、山田区長を司令塔としてなされたものである。つまり教科書官製談合の「天の声」は山田区長の声であった。 

 (1)杉並区 教育委員会の適正手続き違反と採択規則・要項の恣意的濫用 

     @杉並区 区立学校教科書の採択に関する規則違反

     A 同規則・要綱の恣意的濫用の違法性         

 (2)同区教育委員会が教員による「教科書調査報告書(学校用)」を書き換えさせたことの違法性(公文書偽造)

     @該当学校長の公文書偽造の違法性

     A杉並区 教育委員会の公文書偽造指示の違法性と職権濫用    

 (3)同区教育委員会が本来1日ですむ教育委員会を2日に渡り開催し、採択日を恣意的に延期画策したことの違法性。

     @不要な委員会の恣意的開催の違法性 

 (4)同区教育委員会開催に関わり必要のない臨時警備業務を委託したことの違法性

     @過剰警備に予算を執行したことの違法性 

 (5)教科書採択は国と一体となった入札行為であり、ここにおいて特定の扶桑社の歴史教科書を選ぶように誘導するために、前述(1)〜(4)の違法行為を犯したことは杉並区 の官製談合であり、それを被告が容認し、もしくは推進した違法性 

山田区長ひとりの不法な介入のために、採択率が0.5%にも満たない全国から拒否された誤った歴史教科書を杉並区 の子どもたちは使わされているのである。全国で使われている「つくる会」歴史教科書(扶桑社版)の約40%は杉並区 で使われている。どう考えても異常である。裁判所は山田区長には「つくる会」主導の扶桑社版教科書採択への非常に強い意向があったことをまず、ご理解いただきたい。 

 尚、期限までに準備できなかった証拠類は、準備でき次第提出する。 

以上 

添付書類

 甲14号証〜21号証(ただし準備中の21を除く)  各1


準 備 書 面 (6) 

2007年2月28日

 

教育委員会には採択権限はない その1

教育基本法の原理から教科書採択権を考察する

目次

 1.教育基本法の原理から教科書採択権を考察する

   (1)戦後教育改革によって教科書採択権限は教員にあった

   (2)教科書無償措置法に関わる国会審議

       ―教科書法の廃案により、採択権は宙に浮いた状態に

   (3)現在の教科書採択制度

       ―権限が教育委員会にあるとの法的根拠はない

   (4)憲法・教育基本法と教員の教科書採択権

   (5)文部省・政府は学校採択を指向

2.「教育基本法の原理から教科書採択権を考察する」のまとめ

結語

 

はじめに 

教科書採択は、教科書を使用して子どもの教育の任に当たる教員・学校を中心にして採択が行われるように条件整備をすることこそが、教育委員会の基本的な仕事であって、教員に代わって教科書を選ぶことは、教育行政の限界を越えて教育内容への権力的な介入を意味することであり、改定前の教育基本法第10条に違反する。以下、そのことを述べる。(この準備書面で述べる「教育基本法」はすべて改定前のものを指す) 

1.教育基本法の原理から教科書採択権を考察する 

 まず、憲法及び教育基本法等に基づく原理及びその精神の観点から、学校で使用する教科書を決定する「採択権限」について検証する。 

(1)戦後教育改革によって教科書採択権限は教員にあった 

明治中期以来1945年の敗戦までの日本は、完全に「天皇大権」が教育を掌握し、国民を天皇の臣民とみなし、天皇のために命を捧げる教育(教育勅語)を中心に据え、国定教科書を通して子どもたちにその思想を注入し、侵略戦争に国民を駆り立てていった。このような教育を具体的に全国津々浦々で担ったのが、一般行政官である知事や市町村長であった。

このことへの反省から、敗戦後再スタートした日本は教育勅語を破棄し、これに代わり戦後教育の基本方針を示すものとして「教育基本法」を制定した。

教育基本法成立直後に、その立案の任にあたった文部官僚たちが書き、立法者意思を明らかにした『教育基本法の解説』(1947年)は、第10条についての記述の中で、戦前教育の精神及び制度について、次のように述べている。 

戦前の教育は「教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、遂に時代の政治力に屈して、極端な国家主義的又は軍国主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行なわれるに至らしめた制度であった。更に、地方教育制度は、一般内務行政の一部として、教育に関して十分な経験と理解のない内務系統の官吏によって指導させられてきたのである。このような教育行政が行なわれるところには、はつらつたる生命をもつ、自由で自治的な教育が生まれることはきわめて困難であった。」(文部省教育法令研究会『教育基本法の解説』126〜127頁)【甲22号証】 

こうして、制定された教育基本法を具現化するために教育委員会法が公布(1948年)された。この教育委員会法は1条に、目的を以下のように明記している。 

「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする。」 

文部省が作成した『教育委員会法のしおり』(1948年)【甲23号証】には、教育委員会制度の基本的な考え方として、次の3点が述べられている。 

@ 憲法や教育基本法の思想である民主主義を生かすこと

A 細かいことまで国がきめて監督していた強い中央集権をゆるめて、教育行政の地方分権を行うこと

B 教育の自主性を確保すること 

以上のような基本方針の基で、戦後の教育行政がおこなわれるようになった。教科書も戦前の反省から、国定教科書から検定教科書に改められ、さらに、教育内容と深くかかわる教科書の選定に際しても、教育の専門的知識を持つ現場の教員が中心になって教科書を選ぶようになった。

『教育委員会法のしおり』は、「5、教育委員会はどうやって仕事をするか」として教科書採択について以下のように述べている。

「教科内容の決定や教科書の選択などについては、現職の学校の先生が、教育長を中心にして相談に参加します。会議できめたことは、教育長が、その通りに実行してゆくのです。」

ここで言う教育長は、同法「41条2項 教育長は、別に教育職員の免許に関して規定する法律の定める教育職員の免許状を有する者のうちから、教育委員会が、これを任命する。」に規定されているように戦前の反省(教育に関して十分な経験と理解のない内務系統の官吏によって指導させられてきた)から、教育の専門職がその任につくようになった。 

教科書の採択について、1947年当時の文部省事務官の木田宏は「教科書の画一性を打ち破ることは、教師にそれだけ自主性が与えられることになる。すなわち一教科について幾種もの教科書が発行されるわけであるから、使用するものの側においては、当然選択権を持つことになり、教師に自主性が与えられる」(『新教育と教科書制度』)と述べている。文部省は「教科書の採択は・・・教師たちの意見を十分とりいれた後、学校責任者(・・・略・・・)が教育上最も適当と考えられるものを自由に択ぶことが建前である」(1948年4月『教科書検定に関する新制度の解説』)と言い、さらに「採択者は同一学年の各組ごとに異なる教科書を採択することができる」(『昭和24年度使用教科用図書展示会実施要綱』)とまで言っていた。

つまり、教育基本法や教育委員会法の精神に則り、教科書の選定に現場の教員が積極的、主体的に関わり、それぞれの地域性を勘案し、どの教科書が子どもたちにふさわしいのかとの観点から、学校単位あるいは学級単位で教科書を選ぶようになったのである。そして、選ばれた教科書を「承認する」という形で教育委員会が採択(形式採択)するようになった。文部省は1952年8月に教科書選択権は教師が優先するという指示を教育委員会に出している。 

このような採択制度が定められたのも、戦前の国家主義的教育への反省に基づくものであることを確認しておくこととする。 

 

(2)教科書無償措置法に関わる国会審議

―教科書法の廃案により、採択権は宙に浮いた状態に 

  このような戦後教育改革の理念も長くは続かなかった。1951年サンフランシスコ条約締結前の交渉で、吉田茂首相と米代表ダレスとの間で日本の再軍備が密約として交わされた。その密約を受けて、1953年、池田・ロバートソン会談が行われた。そこで再軍備の障害は1に憲法9条、2に平和教育とされた。平和教育を受けた若者は軍隊に入ってもつかいものにならない、国民の防衛意識を拡大することが重要で、愛国心教育をしなければならないと日本はアメリカに約束している。翌1954年、改憲をうたう自民党が結成された。 

  教育委員会法は1956年に廃止され、代わりに「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(以下「地教行法」という)が制定された。ここで教育委員の公選制は廃止されて任命制となり、教育長は教員免許を持つものという枠も取り払われた。 

  1957年には文部省は「採択権限は教育委員会にある」という通達を出した。これは地教行法23条第6号を根拠としている。

地教行法 第23条(教育委員会の職務権限)教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。

    六 教科書その他の教材の取扱に関すること 

しかしその解釈には非常な無理があることがわかる。例えば、荒木萬壽夫文部大臣は国会で野党に追及され、「(採択権に関する)積極的な明文はないが、教科書の採択行為そのものが、純然たる教育活動それ自体でないことにかんがみ、(教科書採択権は)教育に関する一般的な末端の地方行政権を持っておる教育委員会にある」。(衆議院 第040回国会 文教委員会 第16号 S.37.3.22とか「教科書その他の教材の取り扱いに関しましては、教育委員会自体がこれを管理し、及びその事務を執行するというような建前になっておりますので、教科書の採択は教育委員会の権限であると考えております」(衆議院 第040国会 文教委員会 第13号 S.37.3.14などと苦し紛れに述べていたのである。

だいたい、なぜ地教行法施行と同時に「採択権は教育委員会にある」という通達を出さなかったのか? こう考えれば、あとからこじつけた解釈にすぎないことが明白となる。 

実は、1956年に廃止された教育委員会法の代わりとして、地教行法と教科書法の二つが国会に提案された。しかし教科書法は成立せず、地教行法だけが成立した。この成立しなかった教科書法に、教科書採択権は教育委員会にあるという条文が含まれていたのである。教科書法が成立しなかったということは教科書採択権が教育委員会にあるという条文は成立しなかったというに等しい。つまり、この時点で採択権の問題は宙に浮いた状態となったのである。

  また、文部省は教育委員会に採択権があるとしながらも、事実上はそれが形式的なものであることを認めていた。教科書無償措置法に関する審議の中にいろいろな答弁があるが、わかりやすいものとして次のようなものがある。少し長いが当時の荒木萬壽夫文部大臣の考え方を表わしているので話し言葉のまま引用する。 

「教育委員会に採択権ありといたしましても、現実にたくさんの種類のある教科書を、市町村の教育委員が一々それを専門的に見る能力が現実にあるから、現実の選定の仕事そのものも教育委員会ができるという意味ではむろんございません。」 

そして次のたとえ話はこの法案の審議中に何度も何度も繰り返し出てくるが、文部大臣と教育委員を比べて次のように述べている。「文部大臣が教科書の検定権を持っている。そう法律に明記されているが、文部大臣の何の何がしが現実にできるか、できっこない。したがって、その文部大臣が検定せねばならないという責任を国民に果たすためには、検定能力のあると思われる人に委嘱して、その結論をいわばめくら判(ママ)というとおかしゅうございますけれども、それが妥当と信じて検定という行政処分をする。そのことの結果はよかれあしかれ全国民に文部大臣が責任を持つという制度が検定権限である。それと同じように教育委員会に採択権ありということは、採択権の所在、それが住民に責任を持つ意味における権限なり責任の所在いかんということとは別個に、制度論としては考えざるを得ない。・・・略・・・住民に対する選択の責任を果たすということにつきましては、あたかも検定に際し文部省で専門家に頼むがごとく、現場の先生方のしかるべき人にお願いして調べてもらうということは、住民に果たす責任内容を裏付ける意味において必要でもあり、望ましいことは言わずして明らかだと思うのです」(043回国会 文教委員会 第22号 S.38.6.7 

  つまり、採択権は教育委員会にあるとしながら、選択については教員に委嘱し、その結論に従って事務的に判を押す(採択する)のだとしている。 

  1963年3月、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律(以下「無償措置法」という)の国会での審議が始まった。この審議の中でも教科書採択権の問題が再三取り上げられた。野党側は文部大臣が教員意見を聞くことについて、「必要ない」と言ったこともあり、「必要だ」と言ったこともあり非常に不明瞭であるとして、「教員意見を聞く」と法案の中に書くように要求した。それに対して、文部大臣は「市町村の教育委員会においては従来、現実に行われていること(教員の意見を聞く)を常識的な課題として捉えて、当然のこととして踏襲する。県段階においては選定審議会を作ることを政令で定め、行政指導でもそのようにやりたい。ご指摘のような教師の教育的立場からする教科書についての発言権を奪うなどという意思もなければ、法案そのものがそれを予定しているわけでもございません」と述べている。(衆議院 第043回国会 文教委員会 第23号 S.38.6.10 

  無償措置法は1963年12月施行されたが、政府側は「現行採択方法を今回の法律によって変えるということではない」と再三主張していた。

 

 (3)現在の教科書採択制度

      ―権限が教育委員会にあるとの法的根拠はない 

小・中学校に関する採択手続は、教科書無償措置法によって定められている(高等学校の場合は、法令上の定めはない)。公立小・中学校の採択は、広域統一方式を採用している。

すなわち、都道府県教育委員会は、「市若しくは郡の区域又はこれらをあわせた地域」に、教科書採択地区を設定する(同法12条)とともに、都道府県の教科用図書選定審議会の意見をきいて(同法11条)、当該採択地区の教育委員会等に「採択に関する事務について指導、助言又は援助」を行なう(同法10条)。市町村教育委員会等は、都道府県教育委員会の指導・助言・援助により、文部科学大臣の作成する教科書目録から、種目ごとに一種の教科書採択の事務を行なうのである。こうして採択された教科書は、同一のものを「4年間」採択することとなっている(同法施行令14条)。

なお、教科書の採択につき教科書研究の機会を提供するために、毎年、文部科学大臣の指示する時期(通例6月下旬から14日間)に、都道府県教育委員会は教科書展示会を開かなければならない(教科書の発行に関する臨時措置法5条)。採択地区数は、583(200581日現在)である。 

文部科学省(以下文科省という)は毎年発行している『教科書制度の概要』で次のように述べている。【甲24号証】

 採択の権限

   教科書の採択とは、学校で使用する教科書を決定することです。その権限は、公立学校で使用される教科書については、その学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会にあります。また、国・私立学校で使用される教科書の決定の権限は校長にあります。 

 文科省はその「主な根拠法令」として地教行法第23条第6号と教科書の発行に関する臨時措置法(以下、「教科書発行法」という」第7条第1項をあげている。 

 地教行法を再掲する。 

第23条(教育委員会の職務権限)教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。

    六 教科書その他の教材の取扱に関すること 

文部省は地教行法施行後、これを教育委員会の採択権の根拠としてきたが、前述したように、教科書法が廃案になったことによって、教科書採択権の問題は宙に浮いた形のままである。教科書採択権については教科書法に盛り込んだので、地教行法には盛り込まれていない。教科書法と同時に提案した地教行法に書かれたこの条文は採択権を指すものではないのである。教科書についてのこの規定の意味は、教育委員会は「教科書の取扱に関する」「事務」を管理・執行する、ということであり、採択権者を定めたものではない。 

教科書発行法第7条第1項は次のように規定している。

第7条 市町村の教育委員会、学校教育法(昭和22年法律第26号)第2条第2項に規定する国立学校及び私立学校の長は、採択した教科書の需要数を、都道府県の教育委員会に報告しなければならない。 

これは教科書需要数の報告義務を定めたものにすぎず、採択権の根拠とはならない。 

 教育学者や教育法学者の多くは「採択権は教育委員会にある」とするには明確な法的根拠がないと主張しており、浪本勝年立正大学教授は「このように、現行法のもとでは、教科書採択権の所在に関する明確な成文の法的根拠は存在していない。公立小・中学校の場合、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法が一定の採択地区を設定し、採択地区ごとに一種の教科書を採択するように規定している(同法12条)。そのため、採択事務を取扱う当該教育委員会が、教科書採択権を有しているかのごとき「幻覚」が発生しているに過ぎないのである」と述べている(『日本の教科書制度の検証』)。

 

(4)憲法・教育基本法と教員の教科書採択権 

周知の通り、現行教育法制の基本をなすのは、憲法及び教育基本法である。教育委員会の在り方は、教育基本法第10条に示されている。同条は次のようにいう。

第十条(教育行政)教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。

   2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。 

前出『教育基本法の解説』(1947年・立法者意思を明らかにした文部官僚による書物)には、この10条について次のような有名な解説がある。 

「『教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立』というのは、先に述べた教育行政の特殊性からして、それは教育内容に介入すべきものではなく、教育の外にあって、教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を置くべきだというのである。『教師の最善の能力は、自由の空気の中においてのみ十分に現される。この空気をつくり出すことが行政官の仕事なのであって、その反対の空気をつくり出すことではない。』(米国教育使節団報告書)」(同書p.131

文部官僚自らが書いたこの解説からも明らかなように、教科書採択にあたって、教育委員会のなすべきことは、みずからが教科書採択を行なうことではなく、教師を中心に教科書採択が行なわれるよう採択についての条件整備を行なうことである。 

戦前文部省の中央集権的画一的な教育行政を改め、地域に根付いた教育行政を地方自治的に展開させるために戦後新たに設置された機関が教育委員会である。そして、前述のように教育基本法第10条(教育行政)に基づき教育委員会の基本的任務は、教育の条件整備を行なうこととされている。

したがって、これを教科書採択に関して言うならば、教科書を使用して子どもの教育の任に当たる教師・学校を中心にして採択が行なわれるように条件整備をすることこそが教育委員会の基本的な仕事であって、教師に代わって教科書を選ぶことは、教育行政の限界を越えて教育内容への権力的な介入を意味することであり、教育基本法第10条に反することといわなければならない。

 地教行法の解釈の際に、いきなりその条文のみを見て、いわば「勝手解釈」するのではなく、教育行政の在り方について考察する際には、絶えずこの教育基本法の精神を踏まえて解釈する必要がある。ちなみに、最高裁判所大法廷も学力テスト裁判の判決(1976521日)において、次のように判示している。 

 「教基法は、憲法において教育のあり方の基本を定めることに代えて、わが国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念と基本原理を宣明することを目的として制定されたものであつて、戦後のわが国の政治、社会、文化の各方面における諸改革中最も重要な問題の一つとされていた教育の根本的改革を目途として制定された諸立法の中で中心的地位を占める法律であり、このことは、同法の前文の文言及び各規定の内容に徴しても、明らかである。それ故、同法における定めは、形式的には通常の法律規定として、これと矛盾する他の法律規定を無効にする効力をもつものではないけれども、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自体に別段の規定がない限り、できるだけ教基法の規定及び同法の趣旨、目的に沿うように考慮が払われなければならないというべきである。」 

なお、国際的な文書では、国際常識といわれ日本政府も賛成して採択されたILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」(1966年)が、次のように規定している事も重要である。

教育職は専門職としての職務の遂行にあたって学問上の自由を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するための格別の資格を認められたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割を与えられるべきである。」(第61項)。

日本政府はこの勧告に賛成して採択しておきながら、実際にはこれに違反した採択を行っているのである。

上記に関連して、1985年に第四回ユネスコ国際成人教育会議で出された「学習権宣言」には、「学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利である。―――」と述べられている。これらの権利獲得のためには、教員や教育をうける側の主体的な教育方法・教育内容・教科書選択が必要であることは言うまでもない。

 

(5)文部省・政府は学校採択を指向 

文部省初等中等教育局通知「教科書採択の改善について」(1997911日)(以下「97年通知」という)は、教科書採択において、学校単位の採択やより多くの教員参加の方向での改革を提言しているものである。【甲25号証】この「97年通知」は、政府の行政改革委員会の「規制緩和の推進に関する意見(第二次)」(19961216日)に示された見解とそれを確認した閣議決定「規制緩和推進計画の再改定について」(1997328日)に基づいて発せられたものである。この閣議決定の教科書採択に関する内容は、次のようなものである。

「将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要があるとの観点に立ち、当面の措置として、教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう現行の採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善について都道府県の取組みを促す。」

この閣議決定は、従来にもまして、教科書採択に教員の意向を反映させていこうとするものである。

さらに翌年の閣議決定「規制緩和推進3か年計画」(1998331日)は、一歩進めて「法的整備を含めて検討」とトーンアップしたものとなっているのである。すなわち、この閣議決定は、次のようにいう。

「将来的には学校単位の採択の実現に向けて法的整備を含めて検討していくという必要があるとの観点に立ち、採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善について、フォローアップを図りながら都道府県の取り組みを引き続き促す。」

そして、同趣旨の閣議決定が1999年及び2000年に繰り返し行なわれている。繰り返されているのは、文部省(現文部科学省)が閣議決定に従った具体的な努力を放棄していたからである。

 

2.「教育基本法の原理から教科書採択権を考察する」のまとめ 

『(1)戦後教育改革によって教科書採択権限は教員にあった』において、国家が教育を支配し、あの忌まわしい侵略戦争に国民を動員していったとの反省から、国家による教育への介入を排除するために、教科書の選定に現場の教員が積極的、主体的に関わり、それぞれの地域性を勘案し、どの教科書が子どもたちにふさわしいのかとの観点から、学校単位あるいは学級単位で教科書を選んでいたこと、つまり、選ばれた教科書を「承認する(=決裁)」という形で教育委員会が採択していたことを述べた。 

『(2教科書無償措置法に関わる国会審議』において戦前の国家主義的教育を反省し、教育基本法の理念のもとに教育改革を行ってからわずか10年足らずで、再び教育の国家統制への道を歩み始めたこと、国会で地教行法と同時に審議された教科書法に採択権限は教育委員会にあると書いてあったが、教科書法は廃案になり、教科書採択権限は宙に浮いた形になったこと、文部省は採択権限は教育委員会にあるとしながらも、実際問題として教育委員に採択の能力があるとは言えず、権限は形式的なものにとどまるとし、教員意見の尊重については否定できなかったことを述べた。 

『(3)現在の教科書採択制度』において、教育学者や教育法学者の多くは「採択権は教育委員会にある」とするには明確な法的根拠がないと主張していること、浪本勝年立正大学教授は「公立小・中学校の場合、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法が一定の採択地区を設定し、採択地区ごとに一種の教科書を採択するように規定している(同法12条)。そのため、採択事務を取扱う当該教育委員会が、教科書採択権を有しているかのごとき「幻覚」が発生しているに過ぎないのである」と述べていることを示した。 

『(4)憲法・教育基本法と教員の教科書採択権』において、教科書採択は、教科書を使用して子どもの教育の任に当たる教員・学校を中心にして採択が行なわれるように条件整備をすることこそが教育委員会の基本的な仕事であって、教員に代わって教科書を選ぶことは、教育行政の限界を越えて教育内容への権力的な介入を意味することであり、教育基本法第10条に反することを述べた。

また、教育関係法令の解釈の際に、「勝手解釈」してはならず、絶えず教育基本法の精神を踏まえて解釈する必要があることを述べた。

さらには、ILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」の規定にある「教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するための格別の資格を認められたものである」を示した。 

『(5)文部省・政府は学校採択を指向』において、文部省初等中等教育局通知「教科書採択の改善について」の中に「将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要がある」が、文科省はこれの具体的な努力を放棄していることを示した。

 

結語 

「採択権は教育委員会にある」とするには明確な法的根拠がないばかりか、教員に代わって教科書を選ぶことは、教育行政の限界を越える教育内容への権力的な介入であり、改定前の教育基本法第10条に反する。よって、杉並区 教育委員会による本件採択は違法であり、無効である。ゆえに、教科書採択に関わる公金支出は違法であり、無効である。 

以上

添付書類

 甲22〜25号証    各1通


準 備 書 面 (7) 

2007年2月28日

 

教育委員会には採択権限はない その2
実態的採択権限について

 

はじめに

被告らは、そもそも教科書採択の権限は、教育委員会が有すると主張する。それに対して原告らは、準備書面(6)で戦前の国家主義的教育を反省して制定された教育基本法の原理から、また採択権限に関する国会審議の経緯から、教育委員会に採択権限はないことを主張した。ここでは仮に採択権限が教育委員会にあると仮定しても、その場合の「採択権限」とはどのような「権限」なのか、教科書検定手続きにおける文部科学大臣(以下、文科大臣という)の合否の決定権から、教科書採択手続きにおけるいわゆる「採択権限」の「実態」、つまり「実態的権限」について検証する。

(この準備書面で述べる「教育基本法」は改定前のものを指す)

1)教科書検定手続きが指し示す「採択権限」=実態的権限 

文科省は『教科書制度の概要』に、「教科書検定の手続等」として次のように述べている。

「教科書検定の手続等」
1
.教科書検定の手続

1)検定の申請があると、文部科学大臣は教科書調査官にその図書の調査を命じ、教科用図書検定調査審議会に教科書として適切であるかどうか諮問します。審議会においては、先述したように検定基準に基づいて適正かつ公正に審査が行われ、教科書として適切か否かを判定し、これを文部科学大臣に答申します。文部科学大臣は、この答申に基づいて合否の決定を行い、その旨を申請者に通知します。」(下線は原告)【甲26号証】 

つまり、文科大臣は、独自の判断で検定の「合否の決定」をしているのではない。「教育に関して十分な経験と理解のない内務系統の官吏によって指導させられてきた」(『教育基本法の解説』)などの戦前の教育体制への反省の上に立ち、それぞれの分野の専門的知識を持つ教科書調査官が申請本を調査し、それを基に教科用図書検定調査審議会が審議し、「教科書として適切か否かを判定」し、その答申を受けて、文科大臣は合否の決定を行っている。つまり、文科大臣の名による検定「合否の決定」の実態は、教科用図書検定調査審議会の答申に基づいて「承認する」という「形式的決裁」であり、それが、文科大臣の「検定権限」というものである。

 

(2)教育委員らは独自の判断で「採択」が可能なのか?

     ―すべての科目のすべての教科書の調査・研究ができるのか? 

被告らは、採択権は教育委員会にあるとするが、その実際はどうか。教育委員らが自らの判断で教科書を選定するとするならば、少なくとも以下のことを教育委員らが自ら行っておくことが必要条件である。そうでないと戦前の「教育に関して十分な経験と理解のない内務系統の官吏によって指導させられてきた」(『教育基本法の解説』)、これを繰り返すことになる。 

@   教科書に関する専門的知識及び各教科の専門的知識並びに教育実践経験等を持っていること。

A   教科書を選ぶために調査・研究するための各教科毎の観点(調査項目=「調査要素と具体的な観点」)に照らして各教科書を読み比べること(採択の対象となっている教科書は膨大な数である)。

B   教科書を実際に使用する児童・生徒や教員が、どのような教科書を希望しているのかを調査・研究等。 

教育委員は教科書見本本が手元に届いてからわずか2ヶ月の間にすべての教科の400冊以上の教科書見本本を読まなければならないことになる。教育長以外の教育委員は非常勤で、他に本業を持っている者もいる。1冊を読むのにどんなに短く見積もっても数時間はかかるであろう。短めの2時間として計算しても、800時間以上となり、一日8時間休みなしに読み続けても、100日以上かかる。どう考えても全部読めるわけがないのである。それにただ読むだけではなく、教科ごとに比較検討し、ベストの教科書を選ばなければならない。そのためには更に時間がかかる。

 そして社会科の教員が英語や数学の教科書について専門的な研究ができないのが当たり前であるように、どんなスーパーマンをもってしても、すべての教科について専門的な研究をすることは不可能であろう。つまり、教育委員らは、採択を行なうための必要条件(@〜B)を有していないのである。このことについては1960年代に国会で教科書採択権について審議された時に、当時の文部大臣荒木萬壽夫氏が再三述べていた通りなのである。(準備書面(6)で述べた)。

 杉並区 の採択を例にしても、国語、社会以外の教科はみな、「先生の使いやすいものを」「先生がいいと言っているので」などと調査委員会報告で評価の高いものの中から採択している。ここでは教育委員は実質的には教員が行った選定を追認して形式的に採択したのである。 

仮に採択権が、教育委員会にあると仮定した場合においても、採択を行なうために必要条件(@〜B)を有していないのであるから、独自の判断で採択してはならないのである。先に述べた教科書検定と同じく、選定資料・採択資料・現場教員の意見等に基づく採択、つまり、「承認する=形式的決裁」でなくてはならない。教育委員らが行なう必要があるのは、一連の採択手続きが、公正かつ適正に行われてきたのか等をチェックし、そのような採択環境を整えることであり、その上で事務的に決裁することである。つまり、仮に教育委員会に「採択権限」があると仮定したとしても、その「採択権限」は、文科大臣の「検定権限」と同じく、「形式的決裁採択権限」というものである。

つまり、教科書を使用して子どもの教育の任に当たる教員・学校を中心にして採択が行なわれるように条件整備をすることこそが教育委員会の基本的な仕事であって、教員に代わって教科書を選ぶことではない。

 

結語

 

仮に採択権限が教育委員会にあるとしても、採択を行うために必要な条件を有していない教育委員らが調査委員会報告、調査報告書(学校用)、区民意見を無視して行った本件採択は、実態的不備・違法であり、また行ってはならない越権行為による採択であり、憲法31条が要請している適性手続きにも反する違法な採択である。

さらには、仮に採択権限が教育委員会にあると仮定しても、その採択は、あくまでも「形式的決裁」としての採択であり、教育委員会の本件採択は、越権行為による採択であり、違法であり、無効であることは明白である。

ゆえに、教科書採択に関わる公金支出は違法であり、訴状請求の趣旨のとおりの判決を求める。

以上

 

添付書類

 

1.  証拠甲26号証       1


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