杉並住民訴訟第2回口頭弁論関連書面 その3
準 備 書 面 (14)_ 書き換え問題について
準 備 書 面 (15)_ 杉並区教科書官製談合
準 備 書 面 (16) _ 原告請求の趣旨 いわゆる無効確認の2号請求は理由がある
準 備 書 面 (17) _ 教科書調査委員会報告書における扶桑社版歴史教科書の評価は最低だった
準 備 書 面 (18)_ 調査委員会報告書は恣意的に無とされた ―文科省指導にも違反
2007年3月7日
教科書調査報告書(学校用)の書き換え命令は
扶桑社版教科書採択の環境整備である。これは採択の規則違反であり、
いわゆる官製談合における関与行為である
目次
1.書き換えの事実経緯
(1)宮前中学校(以下、宮前中という)の場合
(2)泉南中学校(以下、泉南中という)の場合
(3)西宮中学校(以下、西宮中という)の場合
(4)その他事務的な書き換え
2.書き換え命令行為の違法性
(1)恣意的書き換え命令は採択規則違反
ア)「通知」には強制力はない
イ)別の文書では「適否について調査」するよう依頼=自己矛盾
―その後姑息な証拠隠滅工作をした区教委
ウ)書き換え命令は採択前から扶桑社版採択を狙っていたことの証拠である ―それは採択規則に違反する不法行為である。
(2)書き換え自体が公文書変造で虚偽公文書作成等の罪、
及び
(3)松岡指導室長の答弁の矛盾
(4)調査委員会は書き換えのかくれみの
(5)180度評価を変えた報告書を放置した指導室の責任
(6)扶桑社版教科書採択は事前に内定していた?
まとめ
結語
1.書き換えの事実経緯
被告らは答弁書「3 事実の経緯について(1)調査委員会の調査に係る経緯 ウ」として、「調査委員会は、各区立中学校から提出された報告書の中に、総合所見が『使用しない方がよい』『適切でない』『適切である』とだけ記載され、特筆すべき点などの具体的な記載がなされておらず、また、順位付けとなる記載内容である報告書その他記載事項に不備がある報告書があったため、当該報告書を提出した中学校へ上記留意事項を踏まえて再度報告書を作成し、提出するよう依頼した」と述べている。
しかし書き換えさせられた報告書以外にも「特筆すべき点などの具体的な記載がなされておらず、また、順位付けとなる記載内容である報告書その他記載事項に不備がある報告書」が現在も多数残っている。(後に詳しく述べる)。ゆえにこの被告らの答弁はでたらめであることをまず、指摘しておく。
書き換えの事実経緯について、中学校別に詳しく述べる。
(1)宮前中学校(以下、宮前中という)の場合
宮前中社会科教員の片山政志さん(当時)は一人で歴史、公民、地理の3教科の「教科書調査報告書(学校用)」(以下、報告書という)を担当し、全部で24種目の教科書の報告書を6月3日付で作成し、2005年6月6日に宮前中の小澤榮校長(以下、小澤校長という)に提出した。ところが、6月中旬に小澤校長から校長室に呼び出され、扶桑社版の歴史及び公民教科書についての報告書の記載を書き換えるように指示された。
片山さんが提訴した「転任処分の差し止め請求事件」(東京地裁)に出した「報告書」【片山さん作成・甲43号証】によると、小澤校長は片山さんに、「『誤り』を『疑問』と換えてください。(報告書の記載が)このままでは、印(注:公印のこと)は押せない」と言った。片山さんは記載の誤りは誤りであることに間違いはないと思ったが、校長という管理職からの指示だったので、書き換えに応じた。この書き換え後の報告書の記載の内容は【甲 44号証の1】である。
書き換えの内容は以下の通りである。
★扶桑社版歴史教科書について
1 内容の選択
書き換え前 「神武を『初代天皇』=大和朝廷始まりとは誤り」
書き換え後 「神武を『初代天皇』=大和朝廷始まりとは疑問」
2 構成・分量
書き換え前 「上記のように史実と物語(神話)を混同させるような歴史的叙述は誤りである」
書き換え後 「混同しかねない構成がある」
総合所見
書き換え前 「当時すでに現代と同じ男女の役割分担ができているかのように記述するなど歴史的叙述として間違いのある文脈の教科書である」
書き換え後 「疑問のある文脈の教科書である」
★扶桑社版公民教科書について
1 内容の選択
書き換え前 「『少年法は廃止すべきである』のディベートの前提事実の誤りがある」
書き換え後 「ディベートの前提事実に疑問がある」
総合所見
書き換え前 「少年法や憲法9条など重要論議のある問題の前提になる事実の叙述に誤りがある」
書き換え後 「前提になる事実の叙述に疑問点がある
(下線は原告による)
このように、小澤校長は片山さんに扶桑社版の歴史及び公民教科書について「誤り」「間違い」という記載を「疑問」などと書き換えさせた。
他方で、片山さんが同様に東京書籍の「新しい社会科地図」の「総合所見」欄に、「数字の誤りがある」と記載した部分や、東京書籍の「新しい社会歴史」の「3 表現・表記」欄に「ナチス(国家社会主義労働党)を『国民社会主義・・・』と誤表記あり」と記載した部分の書き換えは全く求めなかった。(下線は原告による)【甲44号証の2】
被告らは調査委員会が宮前中学校の校長に報告書の再提出を求めた事実はないとするが、片山さんが6月6日に提出した報告書を書き換えさせられたのは6月中旬である。その時差をどう見たらよいのだろうか。また、片山さんは扶桑社版の報告書のみを書き換えさせられ、東京書籍の報告書については何も言われなかった。校長が「誤り」「間違い」という記載は「不備」であると思ったならば、なぜ東京書籍は書き換えさせなかったのか。扶桑社版教科書のみ書き換えさせたというところに、非常に不自然さを感じる。やはり区教委が校長に指示を出したのではないか。
準備書面(5)〜(10)で述べてきたように
(2)泉南中学校(以下、泉南中という)の場合
2005年7月13日、教科書調査委員会から
7月26日、教育委員会の事務局である指導室の坂田指導主事(当時)より、泉南中の校長に電話があり、報告書を書き換えるように、同報告書を取りに来るようにとの指示がなされた。校長は指導室で報告書の書き換えについての指導を受け、学校に戻ってその報告書の作成者であるA教諭に書き換えを命じた。
翌7月27日、A教諭は扶桑社版歴史教科書について「適切でない」との記載を削除した報告書を改めて校長に提出した【甲45号証の1:「報告書」(片山作成)、甲45号証の2:書き換え前の報告書、甲45号証の3:書き換え後の報告書】。
被告らは、原告らが区教委が報告書の書き換えを命じるために泉南中、宮前中の校長を呼び出した証拠に、各校長の旅費請求内訳書を提出したことについて、宮前中については否定したが、泉南中については否定していないので、泉南中校長の呼び出しを認めたものである。
(3)西宮中学校(以下、西宮中という)の場合
西宮中の書き換えの事実については、2005年11月24日の第4回区議会定例会で教育委員会事務局次長佐藤博継氏(当時)が次のように述べた。
調査報告書は6月21日までに調査委員会へ提出することになっていたが、西宮中では6月21日までに社会科の作業が間に合わず、完成次第提出するということで調査委員会の了解を得ていた。7月26日に調査委員会事務局から同校へ、社会が未提出であるとの連絡をした。そこで校長は早急に対応し、提出しようとしたが、社会科担当教員が休暇で不在のため、社会科の報告書作成の指示ができなかったと聞いている。翌7月27日、副校長が社会科担当教員に社会の報告書を至急完成して提出するよう指示したところ、同教諭は同日、副校長を通じて校長に報告書を提出した。校長が報告書に目を通したところ、その記載内容が調査委員会の示した留意事項にそぐわないと判断できる部分があったため、事務局にファクシミリで報告書を送付し、記載内容について問い合わせした。事務局は調査委員長に確認した結果、記載内容の見直しを副校長に連絡した。7月28日、校長は社会科担当教員が不在と思い込み、緊急対応として校長の責任と判断に基づき、報告書を作成したと聞いている。【甲46号証の1:区議会会議録】
書き換えの内容は以下の通りである。
【甲46号証の2:書き換え前、46号証の3:書き換え後】
扶桑社版歴史教科書について
1 内容の選択 書き換え前 「意図的でかたよりがある」
書き換え後 「教材が精選され、人物コラムや読み物コラム等が多く設定されている」
2 構成・分量 書き換え前 「不適切である」
書き換え後 「単元・教材の系統性に問題はなく、単元の数は適当である」
3 表現・表記 書き換え前 「少しかたい」
書き換え後 「本文は説明文中心で文字数が多く、注記の数も多い」
4 使用上の便宜 書き換え前 「甚だ使い勝手が悪い」
書き換え後 「小単元は連番が打ってあり、分かりやすい」
5 地域性 書き換え前 「考慮されていない」
書き換え後 「おおむね合致している」
総合所見 書き換え前 「使用しない方がよい」
書き換え後 「日本の歴史を中心に伝統を重視した内容となっている。コラムが多く、歴史への興味や関心を人物像から引き出そうとしている」
この書き換え後の記述は教科書調査委員会委員長名で出された「教科書調査委員会報告書」の記述に酷似している。【甲47号証A】調査委員会報告書の内容は西宮中で書き換えの行われた7月28日にはまだ公にされておらず、それを知りえたのは調査委員会のメンバーのみであった。実は西宮中竹内良夫校長は調査委員会のメンバーであり、書き換えに当たって調査委員会報告書を丸写ししたことは明らかである。竹内校長の専門は保健体育であり、社会科の専門ではないのである。また、竹内校長は社会のみでなく、音楽も書き換え、書写も自らが作成した。
(4)その他事務的な書き換え
尚、松岡指導室長(当時)は、書き換えについて「具体的には、例えば国語の書写の部分の報告書が欠損しているもの、あるいは種目別に報告書を提出しなければいけないところを、例えば音楽の一般と器楽合奏が混在して1枚の書式で提出されているようなもの、そのようなもの。あるいは、例えば適切である、やや適切である、適切でない等の暗に順位付けがなされた表記、あるいは結論のみが記載されていて理由が明記されていないもの」について行ったと述べている。(2005年7月28日文教委員会)【甲47号証B】ここで松岡指導室長が述べた書写、音楽のような書き換えは、上記の(1)〜(3)の書き換えとは性格を異にする、単なる事務的な書き換えであった。内容にまでふみこんで書き換えさせたのは社会科のみである。
2.書き換え命令行為の違法性
(1)恣意的書き換え命令は採択規則違反
被告らは答弁書において、書き換えさせた報告書は「使用しない方がよい」「適切である」「適切でない」といった記載だけしかなく、採択のための参考所見とはならないから、調査事務における留意事項を踏まえた報告書を再度提出するよう依頼したもので、記載内容を書き換えさせたものではないと主張するもののようである。以下、反論する。
ア)「通知」には強制力はない
第一に、泉南中の書き換え指示の根拠として、松岡指導室長(当時)は「例えば数社の教科書につきまして、適切である、やや適切、適切でない、極めて不適切というような、例えばそういうような文言で総合所見が記載されていて、単にそれは順位をあらわしているというように判断された」と述べている。(他にも書き換えの理由として「例えば適切ではないと、ただそれのみ記載されていた場合には、なぜなのかというところが読めませんと、調査委員会の方で集計が非常に困難」とも述べているがこのことについては後で述べる)。(2005年7月28日文教委員会)。【甲48号証のA】
調査委員会は「中学校が行う教科書採択に関する調査事務について(通知)」で留意事項の(5)として、「所見の記載に当たっては、あくまでも調査・研究の観点から文章表現することとし、調査に当たる教員等の主観や嗜好を記載したり、順位を表す数字や記号等を記載したりすることがないようにすること」と「お願い」した。【乙第6号証】
この「お願い」である「通知」はどの程度の強制力をもっているのであろうか。他教科の報告書には「総合所見欄」が空欄のものや、「教科書として使用したい」「魅力は感じられない」「本校の生徒の指導に大変適している」「使用困難」、その前に説明は少しあるものの「適切である」と書いたものなど、参考所見とならない記述や、教育委員会の解釈によれば「順位を表わす」と判断される記述等、留意事項を踏まえていない記述の残っている報告書が散見される。【甲48号証のB】このことは松岡指導室長も認めている。(2005年7月28日文教委員会)【甲48号証のA】
被告らは扶桑社発行の歴史教科書に係る報告書についてのみ、再提出を求めたものではないとするが、なぜこれらの報告書すべての再提出を依頼しなかったのか? もしもこの「通知」に、この留意事項を守らなければ書き換えさせるとするほどの強制力があるならば、当然これらの報告書は1枚残らず「不備」であるとして再提出の指示を受け、書き換えられていたはずである。
つまり、この「通知」はあくまでも「お願い」の域を出ないものであり、この留意事項にあてはまらない報告書があってもそれをすべて書き換えさせるほどの強制力は持っていないことを区教委自らが認識しているのである。それならば、なぜ扶桑社版に係る報告書に限って書き換えさせたのであろうか。
イ)別の文書では「適否について調査」するよう依頼=自己矛盾
その後姑息な証拠隠滅工作をした区教委
第二に、H17年4月13日付の「中学校教科用図書及び学校教育法第107条教科用図書の採択事務について」(以下、「採択事務について」という)【甲49号証の1】には「すべての教科用図書について、その使用の適否について調査し、その結果を調査委員会に報告する」とある。(下線は原告による)。泉南中の報告書の「適切でない」とはまさに「適否」について書いた記述であり、この「採択事務について」に則ったものである。つまり、教育委員会がこれを書き換えさせることは自己矛盾となる。
2001年度の採択の際、各学校から提出された報告書には「適切である」「やや適切である」「適切でない」などという記載が数多くされていたが、教育委員会は何も問題にしなかった(教員多数の証言による)。そのことについて鈴木信夫区議会議員が「4年前はあれは何だったんですかということにもなるんですけれどもね。その辺はどういう風に整理をされているんですか」と質問し、松岡指導室長は、「その経緯につきましては、・・・4年前のそのような反省を踏まえて、昨年度、16年に、教科書採択につきましては規則を作りまして、その規則の下に要綱、手引きという形で採択事務を進めているところでございます。・・・順位をあらわす数字や記号等を記載したりすることがないようにすることということで、調査委員会から各学校に調査依頼をしたところでございます」と答えている。(2005年7月28日文教委員会)【甲48号証のA】
4年前に「適切である」「やや適切である」「適切でない」などという記載がされたことに対して「反省を踏まえて」変更したならば、なぜ「順位を表す数字や記号等」と限定したのか。これら「適切」という言葉を使った記載は「数字や記号」ではない。教育委員会は「等」の中に含まれると主張しているが、さきほど指摘したように「採択事務について」の中には「その使用の適否について調査し」とあるのだから、自己矛盾を起こしている。つまり、教育委員会はもともと「順位を表す数字や記号等」の「等」の中に「適否」について書いた記載を入れるつもりはなかったのである。
しかし、採択の寸前になって扶桑社版教科書の報告書を書き換える必要性に迫られ、教育委員会は書き換えの言い訳としてこの「通知」を持ち出し、「順位を表す数字や記号等を記載したりすることがないようにすること」の「等」の解釈を自分に都合のよいように恣意的に拡大解釈したのである。
非常に不可解なことに、泉南中に書き換え指示のあった2005年7月26日の段階で生きていたH17年4月13日付の「中学校教科用図書及び学校教育法第107条教科用図書の採択事務について」とそっくりな「
その上、採択後に出されたこれまた日付及び所管名のない「
これは区教委が自ら暴露した自己矛盾を解消するために書き換え発覚後または採択後姑息にも変更したものとしか考えられない。こっそり変更したため、区民には今も知らない人が多いであろう。区民に気づかれないように、証拠を隠滅したに等しい不法行為である。
ウ)書き換え命令は採択前から扶桑社版採択を狙っていたことの証拠である
それは採択規則に違反する不法行為である。
仮に、区教委が本当に順位付けなどを理由に再提出を依頼したものであったとしても、なぜ同じような不備のある社会科教科書以外の報告書すべてを書き換えさせなかったのか。非常に不自然である。つまり、被告らは他の報告書はどうでもよく、扶桑社版教科書の報告書に書かれていた「誤りである」「間違い」「適切でない」「使用しない方がよい」というはっきりと批判的な評価を消去する必要があったのである。
それはなぜか? 扶桑社版教科書採択後に情報公開して出てきた報告書にこれらの記述があれば、批判的な評価の多い教科書を採択した証拠となるからである。普通に報告書をまとめ、普通に議論し、最も評価の高い教科書を普通に採択するつもりであれば、扶桑社版の報告書を書き換え、はっきりと批判する表現を消し去る必要など全くなかった。批判的な評価の多い扶桑社版は採択されないだけなのであるから。つまり、区教委が扶桑社版教科書採択の邪魔になる記述の書き換え命令を出した段階で、すでに区教委は扶桑社版教科書の採択を意図的に狙っていた(すでに内定していた可能性も否定できない)ことが証明される。公正であるべき教育委員会自らが採択前から特定の教科書採択を狙うほどの不正はない。すなわち、これら扶桑社版教科書の報告書の書き換え命令は、
(2)書き換え自体が公文書変造で虚偽公文書作成等の罪、及び
被告らは再提出された報告書は虚偽の内容が記載されているのではなく、調査委員会が報告書の内容を改竄させたものでもないから、公文書偽造には当たらないと主張している。しかし、刑法第156条では(虚偽公文書作成等の罪)「公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は、文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前2条の例による」と規定している。つまり書き換え後の報告書が虚偽だろうが記載が正しかろうが、書き換え前の報告書(校長印を押した公文書)の書き換え自体が変造であるので、内容が虚偽かどうかは関係ない。被告らの主張は意味不明であるので釈明を求める。
また、
泉南中の校長へ坂田指導主事より書き換え指示があった翌日の2005年7月27日、泉南中のA教諭、宮前中の片山政志教諭
採択後、書き換え前、書き換え後の報告書が情報公開された。その後区議会議員の追及などにより、しばらくの期間、資料室の「教科書調査報告書(学校用)」のファイルに書き換え前、書き換え後が両方とも綴じられていた(証人多数)が、2006年秋に探した時には書き換え前が抜き取られていた。この準備書面を書くにあたって、再度確認したところ、2007年2月14日の段階でも書き換え前の報告書はファイルの中になかった。このことを資料室担当の区職員に質問したところ、「この資料は最終的な報告書をファイルしたもので、ここに配置された時から、資料室も教育委員会も付け加えたり、抜き取ったりはしていない」ということだった。これは明らかに虚偽の発言であり、書き換え前の報告書をファイルから抜き取ったことは証拠隠滅にも等しい不法行為である。
(3)松岡指導室長の答弁の矛盾
泉南中で書き換え問題が起こった7月26日の翌27日、
@指導室はあくまで事務方として、調査委員会の指示で学校に連絡しているだけで、教育委員会として指導しているのではない。
A理由が明記されていれば、「適切」かどうかという表現は問題ではない。
B数字や記号などで順位付けしてはいけないとなっている。そういう順位付けは点検している。
C書き換えをお願いしたのは社会のみではなく、音楽と書写にもあった。
D表記上の誤りや明らかな誤り、例えば音楽では「音楽一般」と「器楽」を分けていないなど種目別になっていないもの、明らかにパソコンの貼り付けミスなどについては、書き換えをお願いしているが、評価を変えるようには言っていない。
ここで、松岡指導室長は「順位付け」の例としてはっきり、「数字や記号」による表記をあげ、「適切」であるかどうかという表現はこれにはあたらないと言明した。また、泉南中A教諭の報告書には「適切である」とだけ書かれており、「適切」の理由が明記されていないことを理由として強調していた。しかし、「適切」の理由は「調査研究の観点」に明記し、総合所見には「適切である」と結論を書いたのであるから、この言明は詭弁である。
ところで松岡指導室長は7月28日の文教委員会において、泉南中の書き換えの理由について2つの矛盾したことを述べている。【甲48号証のA】
一つは「順位を示すような表現あるいは数字、記号等、これらは記載しないでいただきたいということが調査委員会から各学校へ通知されている」「適切である、やや適切、適切でない、極めて不適切というような、例えばそういうような文言で総合所見が記載されていて、単にそれは順位をあらわしているというように判断された」という理由で、二つ目は「例えば適切ではないと、ただそれのみ記載されていた場合には、なぜなのかというところが読めない」という理由である。そして両方まとめて、「その表現がそれでは非常にわかりにくいもの、あるいは単に順位を示したものについては、調査委員会が求めた評価、この記載方法で提出をしていただきたい、そういう修正を求めたものでございます」(下線は原告による)とも述べている。松岡指導室長がここでこの書き換えの理由は2つあるとは言わず、2つの理由を「あるいは」でつないだことに注目してほしい。この時の話題は泉南中の書き換え問題であり、当然泉南中について述べているのである。書き換えの理由は一体どちらなのか?
(4)調査委員会は書き換えのかくれみの
7月27日に松岡指導室長は
しかし指導室は「事務方にすぎない」というわりには、調査委員会への教育委員からのヒアリングにも権限を持っている。2005年7月20日付で「教育委員からのヒアリング」という文書を出しているが、「専門的な内容に関するヒアリング」は指導室作成の観点を元に質問することになっているのだ。【甲52号証の2】調査委員会の事務局にすぎない指導室がなぜこんなに大事なことを教育委員に指図するのか。事務局にすぎないのであれば越権行為である。また、これは別な問題だが、教育委員会に採択権限があるのだと主張するならば、質問の観点を指導室に作成させるのではなく、教育委員自らの考えで質問すべきである。これでは教育委員は指導室の指導下にあることになる。
結局、区教委は調査委員会にすべての責任を押し付け、説明責任を果たさなかったが、書き換えは本当に調査委員長からの指示であったのだろうか? 区教委は調査委員会をかくれみのに使い、説明責任を果たすことから逃れたとしか思えない。
(5)180度評価を変えた報告書を放置した指導室の責任
西宮中校長が書き換えた報告書の内容は、社会科担当教員が書いた報告書の評価を180度変えたものであった。松岡指導室長は再三にわたり、「内容及び評価の変更を求めたものではございません」と述べている。(例:2005年7月28日文教委員会)【甲48号証のA】評価の変更を求めていないにも関わらず、再提出された報告書の評価が180度変わっていたことに対しておかしいと思わなかったのであろうか? 評価の変更を求めていないのならば、もう一度校長に連絡し、そのことを伝えるべきであった。指導室長らは校長が勝手に書き換えたとし校長の責任であるとしているが、評価の変更を求めていないにも関わらず、評価を180度変更してきた報告書を放置した指導室の責任は重大である。
(6)扶桑社版教科書採択は事前に内定していた?
今まで述べてきたように、普通に公正に採択するつもりであれば必要のなかった書き換えをさせたということは、区教委が採択規則に違反し、扶桑社版教科書の採択を狙っていたということが明らかとなった。
宮前中の書き換えは6月中旬になされた。このことから区教委は6月中旬には扶桑社版の採択を狙っていたことがわかる。しかし泉南中の書き換えは教育委員会に調査委員会からの報告がすべて上がり(7月13日)、ヒアリング(7月21日)も終った5日後になって行われた。何か不自然ではないだろうか? 松岡指導室長によれば「ヒアリングを実施した際、調査委員会からの報告書の中に、幾つかの教科書名の記載ミス、あるいは発番漏れ、あるいは記載の内容に若干の矛盾があるもの等がございまして、その点の指摘を受けました。そこで、再度、学校からの報告書も改めて点検をしましたところ、6月段階で指摘した点が一部訂正されていないものがございましたので、調査委員会に7月26日に事務局から報告をしたところでございます」と述べ、調査委員長の指示で事務局から当該中学校長に連絡したとしている。(2005年7月28日文教委員会)【甲48号証A】
これくらいの理由でなぜ学校からの調査報告書までも再点検したのか? 学校からの調査報告書のファイルには全教科134冊の検定に合格した教科書の23校からの報告書が綴じてある。3082冊分である。調査委員会からの報告書(学校からの報告書、区民意見などをまとめた調査委員会の最終報告書)の中に若干のミスや矛盾があったとして、ヒアリングも終えた後となってまで、そんな作業を繰り返すだろうか? 不自然である。
こんなに不自然な理由をつけても再点検する必要があったと仮定する。だとしたら、それは扶桑社版採択がこの時点でほぼ内定したため、扶桑社版を批判した報告書を見つけて書き換えさせるためではないだろうか。扶桑社版採択を内定するためには、正規の機関、組織、会議以外のところで秘密裏に会議が開かれたのではないか。指導室はその採択内定の環境整備のために動いていたと言わざるを得ない。
まとめ
1.区教委のいう「不備」な調査報告書(学校用)はまだいくつも残っている。つまり、区教委が書き換えの根拠とする「中学校が行う教科書採択に関する調査事務について(通知)」にはすべての「不備」な報告書を書き換え命令により書き換えさせるという強制力はない。
2.H17年4月13日付の「中学校教科用図書及び学校教育法第107条教科用図書の採択事務について」には「適否について調査」するよう指示している。これは「適切でない」「適切である」という表現は順位付けに当たるから「不備」とする区教委の主張と完全に矛盾する。区教委はこの「適否について調査」という文言を採択後に人知れず削除した。
3.書き換え自体が公文書変造で虚偽公文書作成等の罪、及び
4.松岡指導室長の答弁は矛盾しており、この矛盾はやはり書き換えが先にあり、その理由は後からこじつけたものであることを証明している。
5.指導室は調査委員会の事務局にすぎず、書き換えは調査委員会の指示であり、指導室は連絡係にすぎないとするが、それは調査委員会を隠れ蓑にしているのである。実際には指導室には権力がある。
6.扶桑社版教科書採択は事前に内定していた?
結語
このように教員の調査報告書の書き換えは、司令塔山田区長のもとで採択を狙っていた(あるいは採択が内定していた)扶桑社版教科書の採択環境を整備するために区教委が恣意的に行ったもので、公正な採択を定めた採択規則に違反する不正・不法行為である。もちろんこれは
そしていわゆる官製談合防止法にいう関与行為であり、同法にも違反する不法行為である。
よって本件採択は無効であり、採択に関わって支出された公金も無効であるので、訴状の請求の趣旨通りの判決を求める。
以上
添付書類 甲第43号証〜50号証
2007年3月7日
教科書採択は国と一体となった入札行為であり、ここにおいて特定の扶桑社の歴史教科書を選ぶように誘導するために、訴状で述べた原因事実の違法性(1)〜(4)を犯したことは
被告側答弁書ではこの点の認否をしておらず、釈明もなく認めざるを得ないのかとも斟酌するが、原告らは
目次:
1.官製談合の一般的構造
2.官製談合、入札談合に関する法令
(1)法令に照らして官製談合を捉える
(2)一方刑法の談合罪から見た場合でも発注者側職員にたいして
(3)教科書売り込みで文科省指導を受けている問題企業扶桑社
3.杉並区教科書採択官製談合は成立する
(1)購入が決まった扶桑社の教科書は最も評価が低かった
(2)被告杉並区長山田宏が先導役であることは公然の事実
(3)被告ら答弁書は理由を説明できない不良品購入でも法令には適法
という論理
(4)
4.訴訟提起を公正取引委員会に通知、御庁との連携を求める
5.本案件は入札談合とすべき法的適用根拠
6.政・官・業の三角関係から官製談合の法体系を適用すべき
結語
1.官製談合の一般的構造
この構造の存在を認識するためにまず最近の官製談合を見るのが良い。
一般的に言えば(社会常識的概念)、官製談合とは各業界の入札談合とちがって業者間の調整だけではなく、官が影の仕切役となって、受注者を決めている場合を言う。どの様な形態をとるかは発注内容、業種、業界によって、また官公庁、自治体等の特性、あるいは、固有の権限を暗に濫用するある個人によって異なる。官がどのような手法にせよ特定の一社受注(採用)の意向を暗に持つこと、及び他の参加資格社の調整をすること自体が既に官製談合の意図有りというものである。官主導であれ業界側からの官への調整であれ、またそこに贈収賄が有ろうと無かろうと納税者に取ってみれば税金(公金)違法支出の本質に変わりはない。
逆にみれば、通常の手順による入札行為等によれば絶対にそうならない結果を招くものが官製談合である。そこには漏れ伝わってくる噂どおりの結果や予定価格に極端に近い落札価格、はたまた内部告発、客観的説明が通っていない結果など、このような状況証拠があれば、官製談合か業界の入札談合であることを疑う根拠となる。入札(採択)を適正な結果であるとする為には、全てが常識的にも法令に照らしても適正な過程を経ていることと、納税者が納得できる結果という釈明が100%なされなければならない。もちろん法令遵守だけでなく法解釈での倫理・信義軽視などもあってはならない。恣意的意向のない官であれば粛々と入札(会計行為)を執行するのに法令をもてあそぶ(詭弁を弄する)理由などあり得ないからである。
実際の官製談合の実例を最近の新聞記事等に見ると
(甲第51号証の(1)、52号証の(1))
(甲第52号証の(1)〜(4))
宮崎県 特定の設計事務所への発注への知事の関与 環境森林部長、出納帳へ指示 (甲第51号証の(1)〜(4))
防衛施設庁 各工事発注への技術審議官他の関与 各地方局、出先機関への指示 (甲第53号証)
旧道路公団 副総裁の関与 業者への工事分割の依頼を受け内部指示
(甲第55号証)
旧新東京国際空港公団 電機関連工事発注への関与行為
(甲第54号証)
国土交通省 建設施工企画課長補佐が各地方整備局部課長級職員を介し、
落札業者を指定 (水門設備工事)
(甲第56号証の(1)〜(4))
これら記事の中には、「暗黙の了解」、「お墨付き」、「構造的」「世話役」「調整役」「天の声」「上の圧力」という種類の言葉が文中に使われている。この様な構造が官製談合には間違いなく有るということである。特に指摘されているのは県を始めとする地方自治体の官製談合であり、議会のチェック機能が有ったのか? ということであり、起こりうるものとして納税者・市民が疑うのは当然である。この様なものの決まり方(発注行為であれ、各種決定事項であれ)は、
これら官製談合は最近よく報道されてもいるので、納税者国民の目も厳しく、容認できざる犯罪であることは明確であり、釈明の余地は100%無い。
ここでは、黙認も許されない、官側の意向が出ている動きを黙認すること自体は完全な共犯であるか、むしろ影の主犯(政治的影響力の行使)である場合が多い。
官側が誰であれ、意向の教示又は示唆が有る場合に起こりうる現象とは、意図が有れば有るほど巧妙になることは容易に想像できると言って良い。官組織内において、意向が水面下に有ればそれをくみ取る動きが出るものである。組織内の執行組織なり、下部組織、あるいはトップの意向を受けて部下にその動きが現れる。
その動きはお膳立て現象とも言いうるものであって、この奇異な現象こそが証拠ともなる。そして、これらが有りながら黙認されることにより官製談合のサイクルは完結し、組織ぐるみとなる。すなわち、主犯とも言える人物の意向の教示又は示唆(水面下)→組織・部下の意向くみ取り(お膳立て)→奇異な入札・採択等決定過程→しかし黙認(主犯〜下部組織まで)→誰も違法性・異常性を止めない→モラル欠如(法令の主旨をも軽視)→説明責任の恣意的回避又は詭弁→主犯格の決定承認行為(または黙認行為)→官製談合サイクルの完結。
更にこの中で、お膳立てに人事権、法令・規則改変等を行使していれば確信犯ということになる。前述したように贈収賄の有無には関係無しに立証が可能である。官の組織において、このような恣意的決定は、入札行為が明らかな財務会計行為であるため当然大きな不祥事として問題となる。国、自治体の何らかの公金支出行為につながる行為も同様であり、どのような形態、特殊性があっても官の恣意的余地に言い逃れは出来ないと考えるべきものである。なぜなら、国民(住民)の税金(公金)の支出であり、私的資金で趣味,趣向、心情のおもむくままに使うものではないという当然の事が特に自治体で忘れられるというモラル低下があると言わざるを得ない。
例えば、
権力・権限をもった者に対し、チェック機能が働かなければたどり着く先は、正にこういうことである。
最近続く官製談合の不祥事は、動機は何であれ官、特に官トップの恣意的意向は出るものだ・・・という事実・観点を教えてくれる。
まさに自然法的正義から言っても、これら税金による財務会計行為でのゆるされざる官製談合である。行政機関のモラル低下は極まれりである。
2.官製談合、入札談合に関する法令(入札談合等関与行為防止法、刑法)
(1)法令に照らして官製談合を捉える。
核となる根拠法令は入札談合等関与行為防止法(以下官製談合防止法という)である。
官製談合防止法二条C項、二条D項二〜三
・ ・入札談合関与行為とは・・・
二 契約の相手方となるべき者をあらかじめ指名することその他特定の者を契約の相手方となるべき者として希望する旨の意向をあらかじめ教示し、又は示唆すること。
三 入札または契約に関する情報のうち特定の事業者又は事業者団体が知ることによりこれらの者が入札談合等を行うことが容易となる情報であって秘密として管理されているものを、特定の者のたいして教示し、または示唆すること。
・ ・・とある。
これからすれば、何よりも特定の企業「指名」は勿論のこと「意向」の教示、示唆は関与行為と見なされる。当然この意向等が情報として特定の相手方にしめされることも関与行為であるとしているのである。
この教示、示唆とは官のどの段階(職位や過程)という区別は無いのであって、また、教示、示唆を見て見ぬ振りの黙認も含めて組織的な、構造的な官製談合とするのが相当である。
更に、この意向の教示、示唆をくみ取り、官内部での恣意的な業務調整も関与行為として許されるはずもないとするのが相当である。なぜなら、結果として特定の一社を違法に選ぶためには、通常では選ばれないためにそれなりに工夫を凝らさなければならず、その手法、偽装工作、場合によっては規定の変更などが関与行為であることに疑いは無いからである。そしてこの形跡があるからこそ、官の意向があったという官製談合の事実を裏付ける証拠となる。
そして現実に
(2)一方刑法の談合罪から見た場合でも発注者側職員に対して
一般に発注者側職員の指示によって、受注予定者が決まるなどの談合の調整が行われたので有れば、これは、刑法の談合罪の共犯行為等に該当する。また、入札談合自体について、公正取引委員会が事業者側を不当な取引制限行為罪で刑事告発した場合には、その共犯で官側が起訴されることもある(「改正独禁法」諏訪園貞明著 東洋経済新報社 54頁)・・・ としているのは当然である。 また、刑法、独禁法と官製談合防止法の措置事項の関連も明確に体系づけられ、発注機関や職員に賠償責任が生じる旨規定された。(甲第58号証の(4))
談合包囲網が法体系のなかで損害賠償請求責任を明確化した。
(3)教科書売り込みで文科省指導を受けている問題企業扶桑社
なお、教科書出版会社の扶桑社は独禁法違反の営業活動を指摘されてきた情報もあり、文部科学省の指導も受けている企業である。これは、同社が2004年3月に検定申請を行った後、教科書の採択に関与するものに対し白表紙本を配布していることが発覚、この白表紙本の漏出は教科用図書検定規則に違反するとして回収を命じ、指導した。ところがその後もこの違反行為が再三続いていたことがわかり、違法な配布先は、1都1府17県に及んだ事件。通常はこの様な企業は、営業停止か入札資格停止措置がとられる。そうならない場合でも要注意企業であり、官の職員としてはさわりたくない業者である。なぜなら、便宜を図ればそのコネを疑われてしまうからである。それでも採択するのは特段の意向が上層部にある場合だけであると疑うのは相当な考えである。
3.「杉並区教科書採択官製談合」は成立する
前述の官製談合がどのように行われる構造なのかを見てきたことに当てはめて、杉並区の扶桑社歴史教科書の採択経過がまずは極めて不可思議な事がわかる。
(1)購入が決まった扶桑社の教科書は最も評価が低かった
まず、何よりも区が決定(採択=購入)したものが品質、現場使用者要望、過去の納入実績と違和感がないか? を想起し、実証してみると実はとんでもない不良品を掴まされていたことになる。いまだに欠陥部分が見つかっている。 しかもいわば製造元(教科書出版会社の扶桑社)から自己申告のリコールもお詫びもない商道徳倫理に反するようなしろものである。結果オーライとはどう詭弁を弄しても言えないのである。つまり、歴史教科書として記述、歴史事実、写真等の明らかな誤りが飛び抜けて多すぎるのである。そして学校現場の評価が余りにも低い調査結果である。
この扶桑社教科書の欠陥・最低評価は準備書面(2)(17)説明参照。
これこそが、適切な決定過程を経ていればあり得ない証拠として存在する。この事実を大前提としておく(誤りが多い教科書であることを否定できる釈明・証拠の提示は被告側答弁書、書証にも無いので、認否をもとめる。一方被告側答弁書では、同じく証拠も無しに4 原告らの主張に対する反論(1)イで「教科書調査委員会においては、扶桑社発行の教科書の所見が他の教科書と比較して特段評価が低いものとは認められない」とも言っている。これにも証拠と釈明を求める。)
(2)被告
ようするに、ある特定の企業である1社を選ぶ、落札させる、指名する等のあらゆる恣意的同様行為は、自然・公平・適法な決定過程ではそうならない事が最大の関門であるため、各様な工作がなされる。
今回の中学校用歴史教科書採択では、被告山田宏が扶桑社(=つくる会と共同事業者)を使いたがっているという内部情報が出ていた。前回の採択でもその情報があった。まさに火のないところに煙は立たずである。この証人は複数存在する。だとすると、その時期に区の機関内組織の行政マン(地方公務員、教育公務員)としては、自らの雇用と退職金を掛けてまでわざわざ個人的思想信条で一企業である扶桑社を採択するために罪を被るような不正・違法をするわけがない・・・と見ておくのが妥当である。
しかるに、なぜ、教科書採択に関係する規則、要項等の異常極まりない変更や調査表の公文書変造等が区の機関、職員のなかで発生したのか? いわゆるトップの水面下の意向であり、その言動からの意向くみ取りが容易に想像できる。かつ決定過程に於ける人事措置(教育委員会、教育長人事等)があれば完璧な証拠となる。
この内容は別途準備書面(5)にて詳細説明参照。教科書官製談合の先導役が被告山田宏であることは否定しがたい。
それらは、訴状の5.該当する原因事実の違法性にある(1)〜(4)にも事実として残っている。これらの確証にたいして、
つまり、官側の意向がなければあり得ない現象、証拠が明確に残っているのであり、具体的には
司法の場においては、偽証、詭弁、釈明回避はできない。
(3)被告ら答弁書は理由を説明できない不良品購入でも法令・規則には適法という論理
教科書採択方式を理由に官製談合は逃れられないとするべきであり、官製談合防止法等法令適用回避をしてはならない。
被告
なお、被告らの教科書採択適法論理は、原告ら準備書面(6)、(7)に主張する事実経過(区教委の実体的採択権限は成立しない)に釈明できない限り、無効である。なおかつ、ここでも千歩譲って採択行為がとにかくなされる場合でも、官(
(4)
さて、ここで違法行為があり、最終的な公金支出に関係するものとして、杉並区と国(文部科学省)等の一体かつ共同行為として教科書採択処分は入札行為と同等であることを指摘する。
国は、毎年度、義務教育諸学校の児童・生徒が使用する教科書を購入し、設置者に無償で配布する。設置者は、これをそれぞれの学校の学校長を通じて、児童・生徒に給与する(教科書無償措置法第3条、5条の1項)・・とされているのであって、これは教科書を「購入」する根拠法である。そしてその購入する教科書の採択(どの教科書出版会社にするか)の手順も法令で規定(教科書無償措置法第10条、11条、13条、及び同施行令第13条)されているが、そこには、都道府県教育委員会は、市町村教育委員会(
図(教科書無償給与の事務、教科書採択のしくみ)及び表(実施機関、設置者等の無償給与事務一覧表)の参照(出典:教育法規便覧 学陽書房 甲第59号証の(2)、(3))でわかるとおり、全て法令・規則のなかで教科書契約・購入までの流れがきまっており、
本案件の
なお、
(5)教科書採択は税金による教科書購入契約と同じ
杉並区の場合の教科書の採択決定方法は、その一部を被告側答弁書においても述べているが、採択されたものが集約され、最終的に教科書も税金で購入されて各学校に給与されるまでの手順があること(甲第59号証の(2))が記されていない。
ここに入札行為、物品購入の契約と言う理解が希薄で欠落しており、教科書購入の本質から逸れている。そのことが教育委員会を裏舞台とする官製談合の図式の見えにくさでもあることを注意喚起したい。
被告らは税金による教科書購入に際し、都・国と一体であるにもかかわらず、発注者としての官が襟を正すという思想が全く欠如している。公立学校で使用する教科書は納税者の税金で購入されることの認否を被告らに求める。
4.訴訟提起を公正取引委員会に通知、御庁との連携をもとめる
我々原告らはこの訴訟が御庁に提起される意義を認識しているつもりであり、すなわち、独禁法、官製談合防止法の統一的運用が損なわれないようにするため、その訴訟提起について裁判所から公正取引委員会に対して通知がおこなわれるものと理解している。また、裁判所は公正取引委員会に対して独禁法違反行為、官製談合防止法違反行為であるとして訴訟が提起された事件に関する法律の適用その他の必要な事項についての意見を求めることが出来る。他方、公正取引委員会自体、裁判所の許可を得て、裁判所に対し、その事件に関する法律の適用その他の必要な事項について意見を述べることが出来るとしている。
すなわち、原告らは裁判の過程で公正取引委員会の行政調査権限をもって事実解明が出来うることをも求めるものである(「改正独禁法」にて著者である公取委経済取引局企画室長 諏訪園氏記述より一部引用 167頁(甲第60号証の(1))。住民側が調査権無く、時間的にも困難な中で、司法の場で官製談合の完全な立証まで事前にしておくのは難しく、本住民訴訟においては事の重要性から、御庁の住民救済を強く期待したい。前述の公取委諏訪園氏は同じく「改正独禁法」において、「国民に対する詐欺を許すのか」(甲第60号証の(2))と厳しく述べているのである。
重ねて、官製談合防止法第7条は「国の関係行政機関は、入札談合等関与行為の防止に関し、相互に連携を図りながら協力しなければならない。」としていることもその根拠として主張する。つまり、この第7条について解説書「詳解入札談合等関与行為防止法」は、「これは、官製談合の問題が、官公需分野に於ける公正且つ自由な競争の促進、予算の適正な施行の確保の両面に関連しており、関係する行政機関も構成且つ自由な競争の促進を担当する公正取引委員会、国の機関の会計監査等を担当する会計検査院、各発注官庁、地方自治を所管する総務省等多岐にわたるため、これら機関が常に連携協力して入札談合等関与行為の防止に努めることが必要との考えによるものである。」(80頁)・・・としている。司法の場において、十分な審理に躊躇してはならないはずである。
5.本案件は入札談合とすべき法的適用根拠
本案件が入札談合として見なければならないことを、これまでの記述
(教科書購入)に加え、法令を根拠に主張する。
官製談合防止法第2条(定義)には、この法律において「入札談合」とは、国、地方公共団体又は特定法人が入札、競り売りその他競争により相手方を選定する方法により行う売買、賃借、請負その他の契約の締結に関し、当該入札に参加しようとする事業者が他の事業者と共同して落札すべき者若しくは落札すべき価格を決定し、又は事業者団体が当該入札に参加しようとする事業者に当該行為を行わせる等により、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第3条又は第8条第1項の規定に違反する行為をいう・・・となっている。
まず、入札行為が競争により相手側を選定する方法で契約する行為としているので、これは教科書検定といういわば一次的仕様書を満足した教科書の中から、前述の各教科書採択地区が使いやすい(物品で言えば現場に即した性能・機能・品質・安全性等)ものを調査・評価し決定する。この場において、選択肢の教科書は内容においてユーザー評価を取れるかどうかによって競争原理にさらされることで入札と同義である。襟をただすべき官が、教育委員会という場を聖域にして入札(教科書採択)を恣意的に操作するなど許されないはずであり、これらの行為が制度的にも最終的には購入契約(文部科学省と発行者=扶桑社)であることは厳然たる事実である。 (甲第59号証の(2)、(3))
その教科書会社毎の内容の作り込み(製品としてのレベル)は、検定を受ける時点までになされなければならず、その検定後は教科書採択地区の候補に入る。つまり、教科書出版社の営業努力や品質向上は、極めて教科書の内容そのものともいえるもので、その採択については、採択地区の自治体の長(
なぜなら、他の出版社が内容で競う平等な競争の場(調査委員会や現場評価等)とは異次元のところで特定の一社が指名状態になってしまうからである。 そこでは既に他の出版社が同じ土俵で競争することが出来ないことは明白である。よってこれは他社の参入、入札を実質的に妨害する公正競争阻害の違法行為である。
更に言うなら、被告
パ社は同社の医療用ベッドのみが適合する仕様書を働きかけるなどして同社のみが納入できるようにした事件で、これらは独占禁止法第2条第5項に規定する私的独占に該当し、独占禁止法第3条の規定(私的独占又は不当な取引制限をしてはならない)に違反するとされた。
6.政・官・業の三角関係から官製談合の法体系を適用すべき
官製談合防止法ではどのような政・官・業の関係が捉えられているのか改めて確認する。これを見るのに出典として「詳解 入札談合等関与行為防止法」(監修:衆議院議員林 義郎外 発行ぎょうせい)が適切であろう。これは、与党入札談合防止法に関するプロジェクトチームが座長・林氏はじめ監修しており、与党三党の議員立法であることから、その趣旨・理解を適切に見ることができる。(甲第58号証の(1)、(2))
この26頁の図、公共事業への「口利き」「介入」に対する法制度・・・が明確に関与の構図を示している(甲第58号証の(3))。
政・官・業の三角関係である。それぞれあっせんや働きかけ等が作用する関連であることを示し、談合への関与として官→業に「働きかけ」が有る場合の防止に入札談合等関与行為防止法を位置づけている。法対応がこれまでの業の談合そのものに対するいわゆる独占禁止法や刑法の談合罪であったわけだが、ここにきて官側の談合関与を明確に違法とする法体系にしたわけである。しかもここにいう関与行為の形態は、条文だけにとどまることを意図せず、今後も追加すべきであるという強い趣旨が解説されている。条文の解釈は、官が襟を正すべきという強い方向性で解釈、適用しなければならないし、本訴における司法の場も当然それが納税者、国民に応えるべきものだという中で審理されなければならない。
いずれにせよ、訴状第2.の5にある原因事実の違法性(1)〜(4)そのものが、後継行為の財務会計行為の違法性となるとともに、それら違法行為は実は官製談合等関与行為にほかならないという構図であることがわかる。つまり、ここに
繰り返し言うが、被告側答弁書に言う法令に沿った手続きで適法という主張には、なぜ変則的な奇異なことが起きているか、不良品を購入したかが全く釈明できていない。それは、官である
区教委→教科書調査委員会→種目別調査部会→中学校→種目別調査部会→区教委となっており、この中で購入すべき教科書を決定することから、この各過程の中で出てきたおかしな現象(特に準備書面(10)、(11)、(14)、(17)
(18))が説明出来ないので有れば、官の関与行為があるからである。
更に見えにくい
しかも、伝え聞くところによれば、
どだい、市場で人気がなければものは売れない。ユーザー評価が高いものは無理な宣伝・押し売り工作なしでも市場に浸透する。扶桑社の教科書は、はっきり言ってマーケティングに失敗(最終ユーザーに不人気)しているのであって、すでに市場で勝負あった代物と言える。どんなに被告山田宏がこの扶桑社の教科書を好き(準備書面(5))でも自分で買うならかまわないが、これを税金で購入する教科書の場合は訳が違う。本当に売れる教科書をつくりたいので有れば、現場評価をマーケティングすることで内容を改善することが先だ。主張はかえずマニア向けの書籍だというなら一般書物で販売すればよい。また、全国の私立中学校等で人気があって購入されているというデータも見あたらない。ようするに教育現場で歓迎されていないできばえということ。
ある製品が、購入されなかったり(シェア極端に低い)、欠陥が多く不評なものを出しておきながら、消費者が悪いといっている企業やその共同事業者のことを社会はどう思うか常識的に考えても分かる話である。ご丁寧にも被告らはこれを税金で恣意的に購入してしまったのは事実である。
出来上がってしまった人気のない教科書を違法な工作をして購入し、平気でユーザーである公教育の学校現場に強制的に押しつけるとはその地に落ちた被告らのモラルに唖然とする。
結語
以上これらの官製談合も含めた原因事実の違法性及び財務会計行為それ自体の不備・違法性により、結果、違法な公金支出がなされた。
よって、訴状請求の趣旨記載のとおり判決を求めるものである。
以上
添付書類
付図1「扶桑社教科書採択の杉並区官製談合の図」
甲第51号証(1)〜(4)、52号証(1)〜(4)、53号証、
54号証、55号証、56号証(1)〜(4)、57号証(1)〜
(3)、58号証(1)〜(4)、甲第59号証(1)〜(4)、
60号証(1)、(2)
2007年3月7日
原告請求の趣旨 いわゆる無効確認の2号請求は理由がある
被告答弁書第1 本案前の答弁1,2の却下の主張は極めて狭量的な解釈を
前提として不適法と解釈し、本論を避けているので、反論する。
1.原告ら訴状の第1 1.無効確認は適法
原告らの請求の趣旨は、扶桑社歴史教科書の採択決定処分に関する違法な公金支出が無効であることを確認する・・・・としている。
地方自治法242条の2により請求する本件は、行政処分たる当該行為の無効確認の請求であり、当該行為の原因たる違法性又は重大かつ明白な違法性を争うことである。 公権力の行使たる違法行為である。
先行行為が無効で有れば後行行為たる財務会計上の行為もまた無効である。 すなわち、先行行為の違法は無条件で後行行為に継承される。
2.違法性とは正当性を欠くこと
当該行為の違法とは、その行為が客観的に正当性を欠くことをいい、法規違反のほか、公序良俗違反、信義則違反、裁量権の濫用、無権代理等を含むものと解すべきである(「新版 住民訴訟論」関 哲雄著 61頁)・・
(甲第60号証)としているのは相当である。 ここにおいて、被告らが法規違反のみに固執する主張があれば、官として襟を正すことを放棄していることになる。
被告らの認否を求める。
3.被告らの判例引用は表面的かつ限定的解釈
被告主張は「公金支出を構成する支払命令及び支払い行為は、行政処分に当らず」として、判例(京都地裁s54.11.30)を上げているが、
この判例では、支出命令、支出行為の性格には言及していないとされているものであり、背景の違い含めこれだけで論拠にはならない。 これのみで原告主張が不適法とは到底言えない。 原告が無効確認を求めている「行政処分たる当該行為」の背景、性格、重大かつ明白な違法性こそ争点であるから、公権力の行使に当る行政の優越的な違法行為(処分)としての解釈も当然十分に審理されるべきで、適法である。
4.優越的な公権力の行使
杉並区の本件各違法な支出命令、支出行為は通常の行政内部機関の会計行為と同一視は出来ない。 前述3のとおり、これはその内実にそって解釈すべきもので、原告らが主張している該当する原因事実の違法性にあるごとく、財務会計上重大かつ明白な瑕疵がある場合で「行政庁の処分その他公権力の行使(優越的な立場)に当る行為」として解釈されなければならない。
結語
よって、請求の趣旨は適法であり、請求の趣旨のとおり判決をもとめる。
以上
2007年3月7日
教科書調査委員会報告書における扶桑社版歴史教科書の評価は最低だった
(答弁書への反論)
被告らは答弁書において、「教科書調査委員会報告書においては、扶桑社発行の教科書の所見が他の教科書と比較して特段評価が低いものとも認められない」と主張するもののようである。まず、ここで「教科書調査委員会報告書においては」と対象を限定していることにより、被告らは教科書調査委員会報告書の元となった「区民アンケート」「教科書調査報告書(学校用)」においては扶桑社発行の教科書の所見が他の教科書と比較して評価が低いものであったと認めていることを裁判長らが確認することを求める。
教科書調査委員会報告書には次のような分類がある。
「1 内容の選択」
「2 構成・分量」
「3 表現・表記」
「4 使用上の便宜」
「5 地域性 」
そして「総合所見」
1から5の中に調査の観点がいくつか書かれている。所見はその観点に対応する形で書かれている。
この所見を項目ごとに検証し、教科書会社ごとにプラス評価、マイナス評価、どちらでもないものを数えてみたのが下の表である。
【乙7号証を参考に原告が作成】
扶桑社はプラス評価が最も少なく、マイナス評価が最も多いので、調査委員会報告書の中で最も評価が低いことは明らかである。
また、扶桑社の「総合所見」欄には、「一揆や市民革命など、社会を動かそうとした大衆のエネルギーに関する記述が弱い。物事に対して一面的な記述が多いので、多面的なものの見方を育てることにつながらない」【乙7号証より抜書き】とある。「平成17年度 教科書採択のための観点(学習指導要領における各教科の目標)」の「社会(歴史的分野)」4には「歴史的事象を多面的・多角的に考察し厚生に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てるものになっているか」という項目がある。【甲 号証】調査委員会報告書の上記指摘は、この観点に反するものである。
他の教科書会社の教科書の「総合所見」欄には学習指導要領における目標に反するとの指摘はない。
結語
以上のように調査委員会報告書における扶桑社版歴史教科書の評価は全8社の教科書の中で最低である。
以上
添付書類 甲 号証 1通
2007年3月7日
調査委員会報告書は恣意的に無とされた ―文科省指導にも違反
目次
1.事実
(1)
2.教育委員会は調査委員会の行った調査の成果を無視した
―「十分に参考にしながら、・・・審議に臨んでいる」は虚偽
(1)委員長発言は過去の採択を基準にしている
(2)審議の中で調査報告書はどのように扱われたか
ア)調査報告書の評価を恣意的に否定・肯定する教育委員
イ)教育委員会の指揮監督の下にあるはずの教育長の独断的かつ作為的な発言
ウ)8月12日の審議で、教育委員らは、さらに調査報告書の否定に力を入れる
(3)調査報告書の存在は無に等しかった
3.
(1)教科書無償措置法、文科省文書からの検証
(2)まとめ
4.教員による調査報告書は調査委員会報告書の「一部」ではなく土台である
結語
1.事実
(1)
@ 区民アンケートの結果は、扶桑社歴史教科書に賛成151人、反対271人で約64%が反対であった。【甲61号証A】。
A 区立中学校の教員による「教科書調査報告書(学校用)」の中で扶桑社版は最も評価が低かった。このことはNHKテレビ番組「クローズアップ現代」(2005年9月20日放送)でも指摘された。歴史以外のすべての教科書は「教科書調査報告書(学校用)」の評価の高いものの中から採択されたが、歴史教科書のみ、最も評価の低い扶桑社が採択された。【甲 61号証B】
2.教育委員会は調査委員会の行った調査の成果を無視した
―「十分に参考にしながら、・・・審議に臨んでいる」は事実誤認
(1)委員長発言は過去の採択を基準にしている
被告らは答弁書において、「教科書調査委員会報告書は、事前に各教育委員に配布されており、各委員はこれを十分参考にしながら各教科書を評価し、審議に臨んでいる」と述べ、その証拠として第5回教育委員会(2005.8.4)で委員長が「私どもいろいろ選定に当たって調査委員会からの報告書というものも承りまして、それも十分に参考にしながら、各教科書についての評価というものを下してきたわけでございます」と述べたことをあげている。【乙8号証P.6】(下線は原告による)
しかし委員長のこの発言は最初の採択科目である国語の審議が始まったばかりの時の発言であるにも関わらず、「下してきた」という過去形の表現を使っている。この時委員長は2005年の採択審議がどうなるかがわかるはずもなく、自分以外の教育委員が教科書調査委員会報告書(以下、調査報告書という)を参考にするかどうかを知る由もない。つまり委員長は過去の審議を基準にこう述べたにすぎない。ゆえに、上記被告の主張には理由がない。
(2)審議の中で調査報告書はどのように扱われたか
実際に、歴史の審議で調査報告書に触れた発言は、8月4日の議事録中15箇所、全体の7%程度に過ぎない。しかも10箇所については、教育委員の「知見」と呼ばれる主観によって否定されている。8月12日の議事録では、調査報告書に触れた発言はさらに少なく、たった4箇所である。
2日間にわたる歴史教科書の採択審議の中で、調査報告書への言及は、議事の一割にも満たない。他の九割は何を審議していたのか。教育委員個人の歴史観と教科書観の陳述である。大藏委員などは調査報告書には一言も触れずに、個人の持論を長時間にわたって述べ、8月4日の議事録の52%をも埋めている。これで調査報告書を参考にしたと言えるのであろうか。とんでもないことである。
しかも問題なのは、調査報告書への言及があっても、それがことごとく恣意的に否定・肯定され、成果として活かされていない点である。審議において、報告された扶桑社版への批判は徹底して否定される。また他の教科書の優れた評価は扶桑社の優れた点を決して上回ることはない。調査報告書の活用自体の少なさも問題であるが、調査報告書の評価に対する恣意的な否定と肯定は、それ以上に問題であり、報告の成果を踏みにじり、無に等しくする行為である。以下にその例を示す。
ア)調査報告書の評価を恣意的に否定・肯定する教育委員
調査報告書について最もわかりやすく恣意的な解釈を示すのは、宮坂教育委員である。8月4日の審議で、宮坂委員は「数々の批判を耳にしておりますが、予備知識を含まないで、ただ普通にさっと読んだ場合には、あまりそんなことは、私にはイメージとれません」(8/4議事録P25)と述べる。この「予備知識」が彼の脳裡によみがえることは、以降一度もなく、「予備知識」について、彼は最後まで耳を塞ぐ。審議後半で、宮坂委員は、区民アンケート中に見られる扶桑社版への区民の不安に言及するが、「偏見だ」の一言で否定する(同P50)。【乙8号証】(8/4議事録)
ところが、不思議なことに、扶桑社版に対する好意的な意見に対しては、宮坂教育委員の耳は大きく開かれる。「批判的な見解をする人も、読んでいて一番おもしろいという点では認めておる人も多いです」(同P25)。賛成意見については、分析も躊躇もなく大賛成なのである。【乙8号証】
イ) 教育委員会の指揮監督の下にあるはずの教育長の独断的かつ作為的な発言
納冨教育長は、最も多く調査報告書に触れている委員のように見えるが、調査結果を無にする技にかけては右に出る者がない。彼は、議事録P46で「調査報告書の中に扶桑社の教科書だけについて一面的だという記述があります」と指摘するが、「他の教科書も一面的だと言えば一面的でありまして」と述べ、「そういうものとして検定を通ってきたということを感じております」と結論した。【乙8号証】
学習指導要領には、歴史分野の4つの目標のうちの4の中で、「歴史的事象を多面的・多角的に考察し公正に判断する」ことが挙げられている。「一面的」との評価はこの目標に反する、問題性をはらんだ指摘である。本来なら、審議においてこのような点を重点的に検証し直さなければならないはずである。にも関わらず、教育長は、全くの独断で他の教科書も「一面的だ」と何ら根拠も示さずに断定した。
調査報告書には他の教科書について「一面的」との評価はない。調査報告書は、全て検定を通った教科書に対する評価や指摘である。「検定を通ってきた」という理由のみで調査報告書の指摘を否定するのであれば、調査報告書など不要である。教育長は根拠もなく調査報告結果を無に帰し、恣意的に調査報告書の評価を切って捨てた。
続けて教育長は、区民アンケートの中で、扶桑社の教科書について「歴史観や政治観が違う」「言い知れぬ不安を覚える」という意見が見られる一方、「読み手に希望を与える内容だ」という意見もあると述べるが、「賛否両論ある珍しい教科書だなという具合に思いました」と感想のみで終わる(P46)。その後、別の話題になったかと思うと、賛否がそれぞれ何%かには触れず「扶桑社のもっているユニークな思想性というのは、私は捨てがたいと思っています」とプラスの評価のみを優位に位置付ける(P48)。いつの間にか、アンケートの否定意見はなかったかのように肯定意見のみが評価として採用されている。【乙8号証】
さらに納冨教育長は、区民アンケートの回答中に「扶桑社版は戦争賛美の教科書である」との意見があったことに触れる。しかし、これに対し、なんと、教育長は「私はそうは感じなかった」と一蹴する。アンケートを含め、扶桑社版に関する批判が集中する、この重要な問題は、何の調査も客観的データの裏付けもなしに、教育長一人の主観によって、「私はそうは思わなかった」の一言で一蹴されたのである。(議事録P51〜52【乙8号証】)
区民アンケートで、扶桑社版に賛成できないと回答したのは64%である。この数字は、
地方教育行政の組織及び運営に関する法律には次のように定められている。
(教育長の職務)
第17条 教育長は、教育委員会の指揮監督の下に、教育委員会の権
限に属するすべての事務をつかさどる。
2 教育長は、教育委員会のすべての会議に出席し、議事につ
いて助言する。【甲62号証】
つまり、教育長は教育委員会の指揮監督の下にあって、議事について助言する立場なのであって、委員会内で賛否の分かれる議論について個人的な意見を述べたり、ましてや区長の代弁をする立場にはない。
ウ)8月12日の審議で、教育委員らは、さらに調査報告書の否定に力を入れる
8月12日の2回目の審議で、調査報告書に触れた部分は4箇所である。そのうち3つは扶桑社版に対する批判であったが、大藏・宮坂教育委員によって全て否定される。また、もう1つは大阪書籍の好評価に関するものだったが、同じく両委員によって扶桑社の素晴らしさには及ばないとされる。どの報告も、扶桑社版優位に恣意的に解釈され、調査報告書の意味を成さないものになっている。以下に詳細を述べる。【乙9号証】
P19において、教育長は、報告の「扶桑社の教科書が、中世が薄い」という指摘について取り上げ、意見を求める。大藏委員がこれを受け、相対的なページ数の問題だから「私は、やむを得ないと思う」と述べ、「(中世が)6ページ分少ないことは、致命的であるとは思わない」と根拠もなく結論付ける(P22〜23)。【乙9号証】
P20において、教育長は、4日にも取り上げた調査報告書の「扶桑社版は一面的だ」との批判について言及するが、4日に述べた自らの恣意的な判断を覆すどころか、苦しい言い訳めいた持論を展開し、扶桑社版は一面的でないとする見解を強引に主張する。【乙9号証】
教育長は、その事例として、扶桑社の記述にある「将兵がよく戦った」という言葉について、「多義的、多面的に捉えるということは当然のことだと思っています」と主張する。言葉は、どのようにでも解釈できるのだという、無責任極まりない、恐ろしい発言である。この発言には、学問において定義なく言葉を使用することへの恐れは微塵もない。続けて教育長は、「よく戦った」という言葉を「多義的に」解釈した持論を展開し、「私は一面的に戦争賛美であるとか、あるいは戦争の道を辿るものだとかいう評価は、この文言の中からはできません」と主張し、「よく戦った」の記述は、一面的ではないとした。【乙9号証】
また、この「よく戦った」という言葉を「多義的に捉える」試みは、このすぐ後P23で、大藏委員も持論を展開。教育長に援護射撃を送り、「よく戦ったということは、間違っていないんです」と結論づける。この発言には、間違っていなければ一面的でも構わないとする論理があり、「歴史事象を多面的にとらえる」という学習指導要領の目標はすでに視野にない。同時に、教育長と大蔵委員の二人の主張により、調査報告書の「扶桑社は一面的」との評価は、握りつぶされている。【乙9号証】
また、大藏・宮坂両委員は、調査報告書以外から寄せられる扶桑社版に対する批判に自らわざわざ言及するが、全て否定する。議事録のP8で、大藏委員は、「大東亜戦争というのは、アジアを差別する言い方だという人がありますが、私はそうではないと思います」と述べ、否定のための論理を展開する。P17では宮坂委員が「反対運動も起きているということは、これはやはり一つの偏見」と言下に否定。宮坂委員の場合、論理すらない。【乙8号証】
このように大藏委員、宮坂委員、納冨教育長は、12日の審議でも、非論理的な詭弁を弄することによって調査報告書を否定したのである。
(3)調査報告書の存在は無に等しかった
以上、述べてきたように、審議中、調査報告書の多くを占める扶桑社版へのマイナス評価は、ことごとく、委員個人の「私はこう思う」という主観的な見解によって握りつぶされた。大藏教育委員、宮坂教育委員、納冨教育長の審議への臨み方には、何が何でも扶桑社版を擁護する姿勢が表れている。
調査報告書に関する審議は数少ないばかりか、報告書はこのように弄ばれ、成果は否定された。これをもって教育委員が調査報告書を「参考にしている」といえるのだろうか。何のための調査だったのか。調査報告書の存在は、被告らにとって、髪の毛一筋ほどの価値ももたなかったのである。
3.
(1)教科書無償措置法、文科省文書からの検証
★ 教科書無償措置法には次のように定められている。
(教科用図書選定審議会)
第11条 2 都道府県立の教育委員会は、前条の規定により指導、助言又は援助を行おうとするときは、あらかじめ教科用図書選定審議会(以下「選定審議会」という)の意見をきかなければならない。【甲63号証】
★ 教科書無償措置法施行令には次のように定められている。
(選定審議会の所掌事務)
第9条 選定審議会は、都道府県の教育委員会の諮問に応じ、次に掲げる事項を調査審議し、及び必要と認めるときは、これらの事項について都道府県の教育委員会に建議する。
1.市(特別区を含む。以下同じ。)町村の教育委員会並びに国立 及び私立の義務教育諸学校の校長の行う教科用図書の採択に関する事務について都道府県の教育委員会の行う採択基準の作成、選定に必要な資料の作成その他指導、助言又は援助に関する重要事項
【甲64号証】(下線は原告による)
★ 文科省文書
ア)1990年の「教科書採択の在り方の改善について(通知)」
この通知は「教科書採択の在り方に関する調査研究協力者会議」による「教科書採択の在り方について(報告)」を載せたものである。文部省初等中等教育局長は各都道府県教育委員会教育長に宛てられたもので、1991年度からの新学習指導要領に基づく新しい教科書の採択に向けて出されたものである。これに基づき検討、改善を図ると共に、管下の市町村教育委員会に対して同様の検討・改善方指導することを求めている。
「教科書採択の在り方について(報告)」の「1.基本的な考え方」で改善を図っていく必要がある点として次のように述べている。
(3)第1は専門的な教科書研究の充実である。適切な採択のためには、教科書内容についての十分かつ綿密な調査研究を欠かすことはできない。このため、都道府県教育委員会、採択地区等において、適切な採択組織・手続による専門的な教科書研究の一層の充実を図ることが重要である。 (下線は原告による。以下同じ)
そして具体的な改善策として教科用図書選定審議会に保護者の代表を加えていくこと、調査研究機関を確保するため教科書見本などの送付時期を早めること、各地域の実績に応じて各教科ごとに適切な数の調査員を配置するなど、調査研究体制の充実を図ることなどを挙げている。【甲65号証】
イ)1997年の「教科書採択の改善について(通知)」
1990年通知について改善状況の調査を行い、調査結果をまとめ、それを参考にすると共に、行政改革委員会「規制緩和の推進に関する意見(第2次)」による提言を踏まえ引き続き改善に努めるよう、また管下の市町村教育委員会に対して周知徹底を図るよう述べている。【甲66号証】
「規制緩和の推進に関する意見(第2次)」(1996.12.16)の中の教科書採択制度に関する意見では、学校単位での教科書採択の実現に向けて検討していく必要があり、また、当面現在の共同採択制度においても、教科書の採択の調査研究に当たる教員の数が増えるのは望ましいとしている。【甲66号証】
ウ)「教科書制度の改善について」(2002年8月30日)
教科用図書検定調査審議会において取りまとめられた「教科書制度の改善について(検討のまとめ)」(以下「検討のまとめ」という)を受けて、これを参考に採択のより一層の改善を図ると共に、市町村教育委員会などにも同様の指導をするよう述べている。
「検討のまとめ」では教科書採択に関する調査研究の充実に向けた条件整備を重点として取り上げ、「改善の具体的な内容」として、「十分な調査研究期間の確保」などを必要としている。そして「教科書の採択は、教科書内容の調査研究を十分に踏まえて行われるべきものであり」としている。【甲67号証】
エ)「平成18年度使用教科書の採択について(通知)」(2005年4月12日)
これは2005年度の採択に際して文科省が各都道府県教育委員会教育長宛に出した通知である。
前文で「(教科書の採択は)綿密な調査研究に基づき、適切に行われる必要があります」と述べ、2では「都道府県教育委員会は、教科書の内容について十分な調査研究を行い、採択基準及び選定資料を作成し」とある。7 「教科書採択方法の改善について」の(1)には「市町村教育委員会は、教科書内容の調査研究を十分に踏まえて採択を行うこと」とあり、「教科書内容についての十分な調査研究期間の確保のため、教科書見本が送付され次第速やかに調査研究に着手するよう、市町村教育委員会に対する指導に努めること」とある。【甲68号証】
オ)「教科書制度の概要」6.教科書採択の方法(2006.6月)
これは文科省が教科書採択にあたり毎年出している文書である。
2.採択の方法(3)
採択の権限は、すでに述べたように市町村教育委員会や学校長にありますが、適切な採択を確保するため、都道府県教育委員会は、採択の対象となる教科書について調査・研究し、採択権者に指導、助言、援助することになっています。
この調査・研究を行うに当たり、都道府県教育委員会は専門的知識を有する学校の校長及び教員、教育委員会関係者、学識経験者から構成される教科用図書選定審議会を設置します。この審議会は専門的かつ膨大な調査・研究を行うため、通常、教科ごとに数人の教員を調査員として委嘱しています。また、都道府県教育委員会は、この審議会の調査・研究結果をもとに選定資料を作成し、それを採択権者に送付することにより助言を行います。後略・・・
(4)採択権者は、都道府県の選定資料を参考にするほか、独自に調査・研究した上で1種目につき1種類の教科書を採択します。【甲69号証】
(2)まとめ
つまり文科省は、教科書無償措置法で定めた「審議会」の調査研究のあり方について、一貫して専門的な教科書研究の充実を図り、その調査研究を十分に踏まえて採択を行うよう指導している。そのために十分な調査研究期間を確保するようにとも言っており、また行政改革委員会は調査研究に当たる教員の数が増えるのは望ましいとしている。
さらに「教科書制度の概要」で教科用図書選定審議会について述べているが、それによると教科書の調査・研究は「専門的かつ膨大」であるため「教科ごとに数人の教員を調査員として委嘱」しているとある。このことは準備書面(7)で述べた教育委員会に採択権限はあるが、実態としては「形式的決裁」であることを示唆している。
これらの文科省文書は都道府県教育委員会について述べているが、これは当然市町村教育委員会にも敷衍されるべきものである。つまり
本件採択で教育委員会が調査委員会報告書を恣意的に否定し教科書採択の審議の参考とせず、成果を生かさなかったことは、このような文科省の指導に反するものであり、採択規則2条2号に違反する。
4.教員による調査報告書は調査委員会報告書の「一部」ではなく土台である
被告らは「原告らが扶桑社発行の歴史教科書が教員による教科書調査報告書の中で最も評価が低かったとする点についても、仮に、調査委員会による教科書調査の過程における一部の評価が教育委員会の採択結果と異なるものであるとしても、これによって教育委員会の採択が採択規則等に違反し、違法となるものではない」と主張するもののようである。
ここでいう「一部の評価」とは何か? 文脈から読み取ると、その前段の「扶桑社発行の歴史教科書が教員による教科書調査報告書の中で最も評価が低かった」ことを指すと思われるので、それを前提に論を進めることとする。
ここで被告らは教員による報告書の評価は「調査委員会による教科書調査の過程における一部」と捉えているらしい。しかし、教員による調査報告書を基にして、調査委員会報告書はまとめられたものであり、二つは全体と一部という関係性にあるのではなく、土台と建物の関係にある。教員による調査報告書の評価が最も評価が低かったからこそ、調査委員会報告書の評価も最も評価が低くなったのである。ゆえに被告らの答弁は詭弁にすぎない。
結語
教育委員会は調査委員会報告書に書かれていた扶桑社版教科書へのマイナス評価並びに他の教科書会社の教科書へのプラス評価を恣意的に否定すし、それらを教科書採択の審議の参考としなかったのであり、「教科書に関する専門的な調査を行い、その成果を生かすこと」と定める採択規則2条2号に違反する。それ以前に文科省の指導にも反するものである。
教員による調査報告書は調査委員会報告書の土台であり、教員による調査報告書並びに調査委員会報告書で最低の評価だった扶桑社版歴史教科書を採択したことは、調査委員会を無にするものである。ゆえに調査委員会に関わって支出された公金は無効である。
以上