安倍首相を訴えた裁判で一方的な結審

 

六月一日、安倍晋三首相を訴えた裁判の第三回口頭弁論で、東京地裁松井英隆裁判長は聞こえない声で闇討ちのごとく結審を告げ、閉廷もせずに法廷から逃げ去った。

 

この裁判は、二〇〇五年の東京都杉並区 における扶桑社版歴史教科書の採択が違法だったとして裁判を行っている「杉並の不当な教科書採択取り消し裁判の会」が、同教科書の採択を強力に推進した安倍首相らを訴えたものである。

 

安倍首相が事務局長を務めていた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、同教科書採択推進のために、文部大臣、文部省教科書課、内閣外政審議室、河野洋平元内閣官房長官、歴史学者、教科書会社、大学入試センターなど、思いつく限りのところに圧力をかけた。これこそが政治の教育への介入を禁じた教育基本法第一〇条違反そのものなのに、彼らは何の自覚もないどころか、自らの違法行為を本として出版したのである。(『歴史教科書への疑問』展転社)

 

私たちは主権実現の試みの一つとしてこの裁判を本人訴訟で行い、準備書面もすべて自分たちで書いていた。そのため、第二回までは松井裁判長も一定の理解を示しているようなそぶりを見せていた。

 

第三回期日に、私たち原告は一一通の準備書面を提出した。口頭で陳述する時間を取ることをあれほど嫌がっていた松井裁判長が意外にも四人の陳述を認め、私たちは半信半疑ながら、陳述した。

 

陳述が終わると、突然声が小さくなった裁判長は、半分立ち上がりつつ、何事かをぼそぼそ言って逃げるように出て行った。その声が全く聞こえなかった原告らは、逃げる裁判長の背中に「聞こえませんでした。もう一度言って下さい」「忌避します」などの声を被せたが、裁判長は戻ってくるはずもなかった。

 

何が起こったのかわからなかったので、私たちは傍聴席に残っていた。その後、同じ裁判長による二つの裁判があり、その日の裁判はすべて終わった。そこで私たちは説明を求めた。書記官が「口頭弁論を終結し、八月三一日一一時三〇分に判決を言い渡します」と述べたのだと説明したが、こんな一方的な結審をした理由などについて、何ら説明はなく、説明は担当の民事四三部で行うとのことで、退廷を命じられた。私たちは主権者であり、裁判を受ける権利を憲法で保障されているのだから、納得できないとして傍聴席にすわり続けたところ、やがて電気も消され、大勢の衛視が入ってきて腕をつかまれ、背中を押されて強制退去させられたのである。自分が裁判を起こすことがあるとは夢にも思わなかった普通の市民の、生まれて初めての裁判、しかも本人訴訟でこんなことが起きるとは!

 

傍聴者が司法記者クラブに駆けつけ、すぐに取材に来てほしいと頼んだため、数人の記者が駆けつけてくれたが、被告が安倍首相と知ると踵を返して戻っていった。

 

傍聴者の若い男性が逮捕されそうになった。彼の足につまずいた振りをして衛視が転んだのである。

 

その後言われたとおり、民事四三部に行ったが、法廷にいた担当書記官はすぐそこに座っているのに無視を決め込み、あの場にいなかった年配の書記官が対応し、埒があかなかった。

 

地裁受付にある開廷表(裁判の予定を書いた表)には、この裁判だけ載っていなかったそうで、法廷がわからず帰宅してしまった人がたくさんいた。

 

傍聴していた司法修習生は「裁判所はどう考えてもおかしい。こんなやり方で平和を訴える方法があるのだと知りました」と感想を言ってくれた。私たちは裁判官、書記官を忌避し、弾劾裁判も提訴していく。ぜひご支援を!

 

(杉並の不当な教科書採択取り消し裁判の会) 渡辺 容子

 

週刊金曜日 2007.7.13(662号)

 

 

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