安倍晋三、自民党を教育基本法10条違反などで提訴 

 

杉並の不当な教科書採択取り消し裁判の会 渡辺容子

 

 「戦争のできる国」に必要な「つくる会」教科書

 

2006926日、A級戦犯容疑者であった岸信介の孫・安倍晋三が憲法「改定」を公約として首相となった。アジア各国では「初めての戦後生まれの首相」と報道、歴史認識に問題があるとして警戒心を隠さなかった。

 

戦後日本の防衛力増強が約束された1953年の池田・ロバートソン会談によれば、再軍備の制約は一に憲法9条、二に平和教育であるとしている。翌年、改憲をうたう自民党が結成された。そして国民の防衛意識の拡大、愛国心教育の必要性を唱え、憲法「改正」・教育基本法「改正」を暗に陽に目論んできたが、さすがにすぐに変えることはできず、徐々に国民を追いつめ、やっと今、結党の「悲願」を成し遂げようとしているというわけだ。

 

彼らの「悲願」である再軍備とはすなわち「戦争のできる国」になることである。正確には「アメリカと一緒に侵略のできる国」である。これを実現するには、邪魔になる平和教育をつぶし、「戦争」を「是」とする「国民」を生み出す教育が必要である。その有力な推進力となるのが、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」という)主導の教科書である。

 

「つくる会」教科書は2001年に教科書検定を通り、愛媛県と東京都で採択された(採択率0.039%)。2005年には加えて、滋賀県、栃木県大田原市東京都杉並区 でも採択された(採択率0.39%)。これらの採択は、首長が政治的に介入し強引に「つくる会」教科書採択シフトを敷いて行われた結果である。そのおおもとには自民党、特に右派のトップである安倍晋三の介入があった。私たち「つくる会」教科書が採択された地区(愛媛、杉並、栃木)に住む市民は首長の違法な介入などを告発し裁判を行っているが、今回安倍が首相になるに当たって、2006914日、安倍と自民党の介入を教育基本法10条違反等で愛媛と東京で同時に提訴した。

安倍晋三の「つくる会」教科書採択への違法な政治介入 

1993年、故橋本龍太郎元首相・森喜朗元首相ら自民党幹部が多数参加し「歴史・検討委員会」が結成された。1995年に同委員会が行った「大東亜戦争の総括」は、次の4点であった。

@   大東亜戦争(アジア太平洋戦争)は侵略戦争ではなく、自存・自衛の戦争であり、アジア解放の戦争であった。
 
A   南京大虐殺、「慰安婦」などの加害はデッチあげであり、日本は戦争犯罪を犯していない。
 B   最近の教科書は、ありもしない侵略や加害を書いているので、新たな「教科書のたたかい」が必要である。
 C   @Aのような歴史認識を国民の共通認識、常識にするために、学者を使って国民運動を展開する必要がある。

この「歴史・検討委員会」のもう一つの役割は、奥野誠亮氏ら戦前・戦中世代の自民党議員の歴史改ざん主義及び、歪んだ歴史認識を次世代の若手議員たちに継承することであった。そこで19972月、結成されたのが、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(後に「若手」を名称から削除する。以下、「議員の会」という。)である。

「歴史・検討委員会」のこの「総括」を受ける形で、1996年から教科書の「従軍慰安婦」や南京大虐殺をはじめとした加害の記述を「反日的・自虐的・暗黒的」と誹謗し、「教科書から削除せよ」という「自由主義史観」研究会やその他の右派等による攻撃が行われた。その中心人物が、西尾幹二氏、藤岡信勝氏、高橋史朗氏、小林よしのり氏らであり、現行教科書を「自虐史観」と攻撃するだけでなく、自分たちで教科書を発行するとして、19971月「つくる会」を結成した。

このように「議員の会」と「つくる会」は双子の兄弟(姉妹)として共通の目的のために結成され、共に行動してきた。結成当時安倍は、「議員の会」の事務局長であった。同会は、教科書検定において、「つくる会」教科書を検定に合格されるために他の自民党右派国会議員らと「つくる会」や日本会議ら右翼勢力とともに文部科学省に圧力を加え、従来ならば到底合格しなかったであろう「つくる会」教科書を検定に合格させた。さらには、同教科書の採択に有利になる採択環境を整えるために政治介入を行なった。安倍は、同会の事務局長として、それらの行為に深く関与してきた。

この間に日本社会の右傾化は急速に進み、安倍を筆頭とする自民党の右翼思想に染まった若手議員らを国政政治の中央表舞台に登場させ、そのことによって国政政治の場は、さらに右傾化を強めた。

こうして、水を得た安倍は自民党の幹事長となり、「議員の会」による2004614日の「国会議員・地方議員合同シンポジウム正しい歴史教育を子供たちに!」に向け「幹事長通達」を出し、「歴史教育は憲法改正、教育基本法改正と表裏一体」「参院選の争点ともなりうる」と強調、各県連に対し、「歴史教育問題の活動にふさわしい議員3人の教科書シンポジウムへの参加」を要請した。同シンポジウムの目的は、地方議会議員に「つくる会」教科書の採択を実現させる様々なノウハウを伝授し、同教科書の採択を求めるためのものである。同シンポジウムにおいて安倍幹事長(当時)は、来賓として、「地方議会が地域の教育委員会をしっかりと見ていただきたい。我々はそうした環境をつくっていく大きな責任がある」と、出席している地方議員に檄を飛ばした。 

さらに安倍幹事長は、「つくる会」の第七回定期総会後の「『つくる会』前進のつどい」(2004911日)に次のような祝電メッセージを送った。

「前略・・・歴史教育は国家の将来の根幹にかかわる重要な課題です。その歴史教育に使用する教科書については、毅然たる検定作業と公正な採択がなされることが重要です。また、歴史教育の問題は憲法改正、教育基本法改正の問題と表裏一体の重要課題です。このような重大な国家的課題については、国、地方が一体的に取り組むことが必要でありますから、自由民主党として、青年局、女性局を中心に全国的な取り組みを強化していく所存です。後略・・・」

  自民党の違法な政治介入 

一方、自民党は、2005118日に開催した党大会において、「つくる会」の主張と同じく「偏向教科書の是正」を重点課題に決め、全面的に「つくる会」に同調し、「つくる会」教科書の採択を バックアップする姿勢を鮮明にした。

2005年度の教科書採択の手続きが各地の教育委員会ではじまるその時期に、「つくる会」とともに行動してきた「議員の会」は総会(200532日)を開き、文科省に対して「つくる会」教科書の採択に有利になる「教科書採択手続きの改善に関する提案」を提出。同総会には、何と文科省の教科書担当の官僚のトップである山中伸一審議官と片山純一教科書課長が参加し、同省の見解を明らかにする等、政治家・官僚・「つくる会」の異常な癒着関係を露呈している。 

「つくる会」教科書問題は、教育基本法「改正」・憲法「改正」と連動 

右翼団体の中心的組織である日本会議は、憲法「改正」、教育基本法「改正」を掲げ、20042月から5月に緊急の全国キャラバンを行い、各都道府県への「教育基本法『改正』推進決議」の働きかけを強めた。自民党及び安倍幹事長(当時)は、こうした日本会議の要請に応え、2004518日付で安倍晋三幹事長名による通達を出し、地方議会決議運動へのバックアップを表明、日本会議はこの通達を手形として自民党地方議員への働きかけを強めた。

このように、自民党及び安倍幹事長は、憲法「改正」、教育基本法「改正」等を掲げる「つくる会」や日本会議等右翼勢力と連携してその目的を達成しようとしている。

石原都知事の介入

 次に、2001年度に「つくる会」教科書を採択した東京都の場合を見てみよう。

石原慎太郎東京都知事(以下石原知事という)は1968年参議院全国区に出馬し、トップ当選を果たして以来、1969年に衆議院議員となり、1976年には福田赳夫内閣で環境庁長官、1987年には竹下登内閣で運輸大臣を務めた。この間に1973年には自民党内で中川一郎氏、渡辺美智雄氏、森善朗氏らタカ派の若手議員31名で「青嵐会」を結成し、石原氏はその幹事長となった。このように自由民主党の有力な国会議員であった。

 石原知事は都知事に就任した1999年に「心の東京革命」を提唱、2000年に「心の東京革命行動プラン」を作成し、「心の東京革命推進協議会(青少年育成協会)」を作った。ここで「戦前の教育への行き過ぎた反発」「社会的責任より個人の権利が優先するという風潮」「個人主義、平等主義のはき違えた認識による弊害」などを問題として挙げ、社会全体が道徳教育やしつけを積極的にやっていくことを呼びかけている。

 2001年には東京都教育委員会(以下都教委という)の「教育目標」の中から、憲法・教育基本法・子どもの権利条約に関する記述を削除、代わりに「我が国の歴史や文化の尊重」を加えた。

 そして石原知事は、都教委の教育委員6名のうち5名の中に丸紅会長の鳥海巌氏、永世棋聖の米長邦雄氏を選任し、都職員から委員になった横山洋吉氏を教育長に抜擢した。米長邦雄氏は20041028日の秋の園遊会で、天皇に「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけ、天皇は「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べたという人物であり、都教委の日の丸君が代強制の強力な推進者の一人である。

 200143日に文部科学省が「つくる会」教科書を検定に合格させると、石原知事は東京都の市区町村の教育委員を集めて、「採択は皆さんの責任で行ってほしい」と発言した。

 東京都教育長横山洋吉氏(当時)は、200128日、「教科書採択事務の改善について(通知)」を各区市町村教育委員会教育長宛に出した。これは都道府県教育長協議会における文科省の指導に基づいて出されたものであり、石原都知事の命を受けて行ったものである。そこには次のようなことが書かれている。

 *中学校社会科・歴史分野では「我が国の文化と伝統の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」など、新学習指導要領に示されている「目標」等を最もよく踏まえている教科書を選定する。
 *採択要綱・要領等の中に、事実上「教職員の投票によって採択教科書が決定される等、採択権者の責任が不明確になる」おそれのある規定は速やかに改定し、「採択手続きの適正化」をはかる。
 *採択すべき教科書の候補を一種、または数種に規定する、いわゆる「絞り込み」の規定があるときは、速やかにその規定を改正し、「採択手続きの適正化」をはかる。

石原知事は憲法「改正」、教育基本法「改正」を掲げる右翼団体の中心的組織である「日本会議」の代表委員であり、1997年、「つくる会」の賛同メンバーになっている。石原知事は自分の個人的な思想によって、「心の東京革命」を実施し、「教育目標」を改定し、教育委員を選任した。さらにそれまでは現場の教員の意見を取り入れて行っていた教科書採択の場から、教員意見を追放、教育委員の権限で採択を行うよう指示した。これらは「つくる会」教科書採択シフトとも言うべきもので、同教科書の採択に有利になるように採択環境を整えたのである。

  杉並区長の介入

 200011月、山田宏杉並区 長(以下山田区長という)は突然、任期満了の二人の教育委員と教育委員長を更迭した。任期満了の委員は再任されるのが慣例であり、当然そうなるであろうと思われていたにもかかわらずである。

 教育委員の選任に当たっては、議会の各会派に意向を打診するのが慣例だったが、山田区長は、独断的、恣意的に候補者を決めた。一人目の候補者は「つくる会」の有力な賛同者の一人であった佐藤欣子氏(弁護士)だった。区民による猛烈な反対運動が展開され、区長は佐藤欣子氏を候補者として議会に提出できなかった。しかし次に区長は「つくる会」の支持者である大蔵雄之助氏と宮坂公夫氏を候補者として議会に提出し、区民の多くの反対を押し切って、また、区議会与党である公明党が採決の際退席する中、議会の同意を取り付け、両氏を教育委員とした。

 2001年の教育委員会では32でかろうじて「つくる会」教科書は採択されなかったが、その後、20036月に山田区長は教育長を、元区長室長であり懐刀である納冨善朗氏に入れ替え、区教委は20058月に「つくる会」教科書(歴史)を違法に採択した。

  山田区長と「つくる会」の関係・山田区長の特殊な思想

   2005221杉並区セシオンホールで行われたCS放送「日本文化チャンネル桜」(以下「チャンネル桜」という)杉並支部発足記念講演会を、杉並区杉並区 教育委員会が後援し、山田区長自らもパネリストとして参加した。ホームページで靖国神社参拝などを呼びかけている「チャンネル桜」の創設提案賛同者は、「つくる会」の代表執筆者である藤岡信勝氏や「つくる会」の賛同者で構成されている。設立発起人には、「つくる会」元副会長であり、扶桑社版教科書(「つくる会」著)の元監修者であった高橋史朗氏(埼玉県教育委員)や杉並区 議会議員の松浦芳子氏が名前を連ねている。

   松浦芳子区議は「日本会議」の東京都本部理事であり、「日本会議」の機関誌である「日本の息吹」の中で「杉並から日本を変える。歴史の教科書を変えたいから議員になった」と答えている。松浦芳子区議が議員に立候補した際、山田区長は推薦人として熱心に応援していた。さらに山田区長は「チャンネル桜」で月一回、番組を担当している。

   「 山田区長は2004年、2005年の成人式で、新成人を前にして二人の特攻隊員の手記を読みあげ、「あなたたちと同じ年齢の若者が戦争に尊い命をささげた、今の平和で繁栄した日本の礎となった人たちに感謝するように」と訓示した。

   2005522日、山田区長は「『日本海海戦』上映会」で講演した。この上映会の講演で山田区長は、日露戦争はロシアの脅威から日本の独立、朝鮮の独立を守るためのやむにやまれない戦争だったと、朝鮮の植民地化を正当化し、日韓併合は日本の安全と満州の権益を防衛するためだったと語った。さらに山田区長はここでもアジア・太平洋戦争を戦前使っていた「大東亜戦争」と言い換え、大東亜戦争も自衛戦争だったとくり返した。

    教育基本法10条の意味と提訴の意義
 

 教育基本法第10条には「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とある。教育基本法成立直後に、その立案の任にあたった当事者たちが書き、立法者意思を明らかにした解説書(文部省教育法令研究会著『教育基本法の解説』194712月発行)は、同10条についての記述の中で、戦前教育の精神及び制度について次のように述べている。

 

 戦前教育は「教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、遂に時代の政治力に屈して、極端な国家主義的又は国家主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行なわれるに至らしめた制度であった。」(『教育基本法の解説』126127)

 

ところが、このことが全く省みられず、無視され、国家・政党・官僚等による教育への介入(不当な支配)が行なわれてきた。それが、今日言われている教育の荒廃の主要な要因である。ところが自らのこの行為を棚に上げ、盗人猛々しく教育基本法にその原因を恣意的に押し付け、荒廃した教育を刷新するためには教育基本法を「改正」する必要があると声高に叫んでいる。その中心をなす主張の背景には、あのおぞましいナショナリズムが潜んでいる。それはかつて、アジアで2000万人以上にも及ぶ犠牲者を生み出し、日本国民310万人の犠牲者を出すに至った戦争に「国民」を動員して行ったそれである。

 

いま日本は、再び「戦争ができる国」になろうとしている。いや、もうすでに片足を突っ込んでしまっている。私たちは、かつて国家が教育を支配し、侵略戦争に国民を駆り立てたその同じ過ちを繰り返させないために、違法な政治介入を暴き、教育基本法「改正」、憲法「改正」が必要であると声高に叫ぶ安倍らの真の目論見を白日の下に晒し、その企みを押し止めるための一つの行為として提訴することを決意した。このことが、かつての侵略戦争の反省の上に制定された現行憲法及び教育基本法の理想・精神を具現化する一つの行為につながり、またアジア地域の人々とつながり、東アジアの真の平和に向かう道の一つになると考えるからである。

 

(愛媛の訴状を参考にしました)

 

TOPページに戻る

 

 

inserted by FC2 system